意識下のふかい海をただよう魂たち一一チェーホフの『かもめ』は、潜在意識の底で傷ついた魂たちの姿を浮かびあがらせる。そこにくりひろげられる物語のむこうに、無惨に虐殺され、また深い傷を負った魂たちが、透けて見えてくる。劇中劇“世界霊魂”は挫折するが、それをぼくらに予感させる。トレープレフによって射殺されたかもめの死骸は、この芝居の象徴といえるかもしれない。この無惨な死骸が剥製にされたとき、トレープレフはピストルを自分の頭に撃ちこむ。(広渡常敏)
演劇博物館別館6号館3階「AVブース」にて視聴可能です。
1954年創立(劇団三期会1967年東京演劇アンサンブルに改名)。演出家広渡常敏を中心にベルトルト・ブレヒトの『今日の世界は演劇によって表現できるか?』を問い続け、現代演劇の創造を続けている。
1977年東京武蔵関‘ブレヒトの芝居小屋’を拠点として、日本・海外の創作、翻訳戯曲を上演。海外公演や全国演劇鑑賞会、学校の演劇鑑賞教室などで旅公演を行っている。児童演劇も創立当初から全国のおやこ劇場とともに沢山の作品をうみだしてきた。講演会、シンポジウムなどで地域との交流など活動は幅広い。
2019年本拠地を埼玉県に移し‘野火止RAUM’がはじまった。
小さな山の分教場に、外国人のような子が転校してくる。その子がいる所では風がどうと吹いて教室のガラス戸はガタガタ鳴り、山や萱や栗の木はみんな揺れました。みんなこの転校生高田三郎を、恐れと憧れをこめて、風の神「風の又三郎」だと思いこみます。山の子ども達は三郎と一緒に野山を駆け、馬を追い、滝壺に飛び込みま。いつも風が、どっどど どどう と吹きこどもたちの昂揚した心を、日常から心象の世界へと導くのです。三
『ガリレイの生涯』のなかでブレヒトは、民衆の知性・理性への熱い信頼を謳っています。しかし、理性とは真逆のものにとりつかれた民衆がナチスを支えた時代、ブレヒトはどんな思いでこの戯曲を書きあげていったのか。「真理が自分を守るのに弱すぎる場合は、攻撃に移らねばならない」とブレヒトはガリレオ・ガリレイのい語らせる。このことばがぼくらのグループを震撼させる。グループのひとりひとりに対してさまざまの衝迫力で問
『桜の森の満開の下』で演劇が、詩であることに私は挑戦した。作家坂口安吾は散文でこの小説を書いた。安吾が散文をつきつめることから生まれた一点の凝縮力がリズムになり、新しい形式の芝居をつくり出せたと思う。「山賊の言葉でなければ言えないことがあるぜ」山賊の言葉は詩だといえる。マイノリティであるから真実がつかめる。“沈黙”がその言葉かもしれない。散文が演劇によって詩の世界を抽象することを、ベケットの作品を
いじめが原因で引きこもり気味の高校生アンはインターネットのブログサイト“千年ユニコーン”とのチャットに夢中になっている。アンの両親は離婚の調停中。孤立した心を癒すのは、「ユニコーン」の言葉だった…。アンの同級生マルオもまたいじめが原因で学校を退学している。アンとマルオは再会し、ある日、マルオからじぶんがユニコーンであることを告げられる。そして、マルオはじぶんが新しいノアとなり、世界を救う(滅ぼす)