表示件数
子供たちと戦場で商売するたくましい肝っ玉おっ母は、ついに戦争の本質がわからずに子供たちを失う大きな代償を支払う。20世紀最大の劇作家ブレヒトが世界の母親に訴える傑作。1966年上演の絶賛にこたえ、より素晴らしい舞台をお贈りいたします。
童話「ヘンゼルとグレーテル」をもとに、それを現代に置き換えた兄妹の物語。貧乏な家庭に育ち、両親から逃げてきた兄と妹が辿り着いたのは、深い森の中にある、お金持ちの別荘。その別荘にある高価な物たちを見て、兄妹の興味と欲が溢れ出していくが、物に触れるたび、逃げてきたはずの怖い両親からの記憶が襲いかかる。その場所は不思議な現象が起こり続ける〝おかしな家〟であった。その不思議な現象を、小沢自らが作り上げる舞
若き山伏「大鷲坊」は、幾多の思い出を秘めた故郷「櫛引通野平村」、薬師神社の別当に任じられ出立する。 村に着いた彼を待っていたのは、ニセ山伏の色男「月心坊」だった。どちらを村の別当にするか、村人達は法力比べで決めることにする。それは、心を病み歩けなくなった娘おきくの治療であった。大鷲坊はおきくを背負い、野にでる。村では…女手ひとつで懸命に娘のたみえを育てている幼なじみのおとし、村人の疑心暗鬼と偏見に
「LOWという高み」LOWとは、輝ける最高の頂の遥か天空を飛翔し続ける鶏の名前である。LOWというコトバを支えるいっさいの価値、いっさいの物語を超え出うるとはおよそ、地上から追いやられた生き物の目の低さで私を見いだすことに他ならない。
日本の現代演劇ポスターデジタル化プロジェクト2023
150点の現代演劇公演のポスターをアーカイブ。公演のキービジュアルがデジタル展開され難い、1960年代から80年代を中心に、紙で現存するポスターをデジタル化。ポスターのセレクションは、1960年代以降の舞台芸術系のポスターを収集・保存、これまでも研究や数々の展覧会に協力する等、演劇公演のポスターに造詣が深い、ポスターハリス・カンパニー社代表の笹目浩之氏が担当。
厚木シアタープロジェクト ネクストステップ第7回公演
天才振付家ラッキィ池田と扉座が、四半世紀のお付き合いを経て、ガチで挑む渾身のダンス&プレイ作品。天下泰平を謳歌する江戸の町に現れる謎のインド人たち。その正体は……
淋しい放火魔ツトムが放ったマッチの火は、古い廃墟を灰にしただけでなく、その地に封印されていた古い物語を甦らせた。ツトムを巻き込んで、ロマンと愛憎のドラマが繰り広げられる。現代の物語作家・横内謙介の名を世に知らしめた初期の傑作。
1980年代という大きな時代的変化を何とか生きようとする中年世代の生の感覚――それと新劇の老劇作家とキャリアを持った女優たちの現在を重ねてみるというプランのもと太田省吾が書き下ろした1990年の『木を揺らす』。出演していた俳優たちが、何年か毎にくりかえし演り続けたいという提案が実現した作品。しかし4年の歳月はかなりの変化をもたらす年月であったため、書きかえを重ね『木を揺らす-2』となった。
パラレル・ノーマリティーズは、劇作家・石神夏希とタイの劇作家・作家のナッタモン・プレームサムランによる共同制作プロジェクト。2021年から二人のアーティストが対話を続けクリエーションを進めてきた本プロジェクトの集大成として、『Whispering Blue-青い車の後部座席から聞こえた君の声』をタイのルーイ県ダーンサーイ郡で上演した。本作品は、石神が京都で2017年に制作した演劇 『青に会う』をも
―少年探偵団VS史上最強の敵―怪盗ルパンが狙う秘宝とは何か?1940年代の中国から日本へ。悪夢の暗闘と略奪が…。その時、明智探偵と少年探偵団は?
2005年度Leni-Basso+Haus der Kulturen der Welt(ベルリン)共同制作作品海外の劇場との共同制作作品として海外にてワールド・プレミアがされた初の作品。Leni-Bassoにしては珍しく物語的な要素を含んだ劇的な展開をもち、神話的な世界観をもつ。発条トのメンバーであった粟津裕介が全曲オリジナルスコアを提供している。オランダ9都市を含む、10カ国19都市で上演された
作品ノート:「この街は芸術迷子だ。」というフレーズがしっくり来る。利益至上主義国家である日本では都市の開発や機能性向上を掲げ、日々、街の外観が更新されている。反するかのように芸術は一方的に避けられ、事実活動が窮屈になっている。芸術の都と呼ばれるフランスでは芸術の地盤が整っているが、故にアートで溢れ返っており、表現の根源を見失う芸術家も多かった。表現できる環境を求め、自分の活動に適した街へ移住する芸
ワールドカップが開催される為、再開発によって⽴ち退きを迫られている、啓二(鳥谷宏之)と離婚した妻が建てた、とある地方の喫茶店。娘の可奈(村上穂乃佳)は啓司と親子で喫茶店を営み、いずれ継ぐのだろうとぼんやり考えていた。が、しかし、周りの友達や知り合いは立ち退きや、結婚などによってどんどんと地元を離れることを決めていく。可奈と啓司はただ二人、地元に取り残されてゆき…
劇場演劇部
深夜1時、友達とのおしゃべりは話題が尽きずスマホは熱と光を放っている。用もなく開ける冷蔵庫は眩しくて、まもなく窓から差し込む朝日にわたしは辟易とする。朝はすぐ来る。同じとき、光る鱗を持つ魚が青く深い海を泳いでいる。家族はまだみんな寝ていて、私だけが小さい頃にみんなで見た花火をなぜか思い出している。朝6時、支度をするわたしを映す鏡がきらめく。私はさまざまな光を反射して生きている。これは、未来も過去も
元藤燁子からの誘いで古巣であるアスベスト館で週一回のワークショップを開講した和栗由紀夫が、「土方巽メソッド研究会」と名付けた会で、土方巽の孫弟子にあたる受講生と行った第一回目の公演。鼈甲飴とはフォルムのことで、それは人の形を指している。一人一人が自分の形を見つけ出す、そうあってほしいという思いをこめて和栗が名づけた。
慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いで出会った落ち武者と戦場泥棒の浮浪児たち。むささびのお霧、人の心を読み取ることの出来る離れ猿の佐助、腕自慢のずく入の清次、戦場でギターをかき鳴らすキリシタンの望月六郎……などなど個性豊かな面々。のちの真田十勇士である。慶長19年(1614年)、徳川対豊臣の大坂の陣が勃発、智将・真田幸村とともに劣勢の豊臣方として参戦する真田十勇士。豊臣秀頼・淀君母子に寄り添う大坂
娘を殺された両親と、殺した青年の両親が、「案内人」と呼ばれるコーディネーターとともに1泊2日の小旅行に出かける。行き先は殺した青年が収監されている東京拘置所。殺された娘は父のそばにいつも寄り添い、父に「あいつを殺して」と殺意を煽る。一方、殺した青年の母は1審で死刑判決が出て控訴を取り下げようとしている息子に「控訴して死刑を回避し、生きて償いなさい」と説得したいと考えている。隠しようのない憎しみを抱
南河内万歳一座座長、内藤裕敬書き下ろし作品。2005 年に豊岡市、城崎町、竹野町、日高町、出石町、但東町 の 1 市 5 町が合併し、兵庫県下で最大面積の市“豊岡市”となった成り立ちを元に描いた。 市民の声や当時の様子を取材し、リアルとフィクションが交差するエピソード満載の内容で地元市民はもちろん、他の地域の方も“豊岡”を楽しめる作品。2020 年に初演した『豊岡かよっ!』から新たなエピソードを加
マームと誰かさん・ふたりめ
マームとジプシーを率いる藤田貴大が第56回岸田戯曲賞を受賞した直後、他ジャンルの作家との共作シリーズ「マームと誰かさん」を企画し、小さなギャラリーにて作品を発表。このシリーズはその後マームとジプシーに大きな影響を与えました。その第二弾は演出家・飴屋法水さんとのコラボレーション。
森に仲の良い「のねずみ」の家族が住んでいました。おじいちゃん、おばあちゃん、おとうさん、おかあさんと10ぴきの兄弟たち、合わせて14ひきの大家族。そんな「のねずみ」の住んでいる森へ、とうとう開発の手が伸びてきました。しかたなく、追われるように森の奥へと新たな住み家を探し求め、移動していく野ねずみたち。がけを登り、坂を下り、川を渡って、滝のところでひとやすみ。シダやクマザサをくぐって進んでいると物音
KERA・MAP『キネマと恋人』(2016、2019年)の舞台となった“梟島(ふくろうじま)”を舞台に描かれる、まったく新たなストーリー。静かで穏やかな暮らしの中で描かれる、“小津作品”への憧憬のような、KERA作品史上、“異色作”。
舞台『魔法使いの約束
2.5次元ミュージカル/舞台
舞踏の古代史の中には「鬼」「まれびと」「龍蛇」などが出たり入ったりしているように思う。現代人の身体の奥にも彼らは棲んでいるのだろうか。身体とは不思議で変な入れ物だ。記憶という川を遡り、瀧壺の底で光る一枚のウロコを手に入れる。それを合図に水龍と火龍の戦いが始まる。そんな修羅場こそ舞踏奴の独壇場である。男伊達、そこのけそこのけ奴が通る。恋に翻弄された鳴神上人も瀧を登って龍となる。新しい祭のはじまりだ。
(フライヤーより抜粋)さつき荘は古い。何人もの住人が入れ替り立ち替わり、七つの部屋を通りすぎていった。学生、サラリーマン、新聞配達員、浪人、占い師、片目の運転手、手品師、宗教屋、世間のダニ、酒屋の店員、花屋の店員、プータロー、等々……そして今、九月。さつき荘には、六人の男達が住んでいる。
水の流れや木々のざわめき、木漏れ日の移り変わりを眺めるようにダンスをみたいという思いから創作しました。繰り返すようでいて、同じ動きは2度とない。そんな自然の揺らぎを動きに定着させたい。鍛錬や日々の努力を見せるだけでなく。ダンスはもっと自由で豊かであるべきだ。
西瓜糖第9回公演
昭和40年代の東京 文化人類学の教授である城戸崎裕介(中尾)は妻・志穂(山像)娘・裕子(磯部)と平穏で暖かな日々を送っていた。そこに不意に訪れた輝くばかりの田舎の青年、坂幹人(三津谷)。そしてまた、導かれるようにやってくる一人の女――澤野麻巳(奥山)。一つ屋根の下に集う者たちの糸が、少しずつ少しずつ絡まりだし、不協和音を奏でていく……。
がん医療の世界で、異端であり、批判され続け、申請から45年も経ても未だに中央薬事審議会から認可の降りない「丸山ワクチン」。がん治療の最後の砦として、望みを託す患者は後を絶たない。舞台は片田舎の小さな医院。経営方針と医療方針の違う親子。この「丸山ワクチン」と二人の確執を通して現代の医療を問い、医学界のタブーを描く。内藤裕子の新作書き下ろし。
日本の現代演劇ポスターデジタル化プロジェクト2023
150点の現代演劇公演のポスターをアーカイブ。公演のキービジュアルがデジタル展開され難い、1960年代から80年代を中心に、紙で現存するポスターをデジタル化。ポスターのセレクションは、1960年代以降の舞台芸術系のポスターを収集・保存、これまでも研究や数々の展覧会に協力する等、演劇公演のポスターに造詣が深い、ポスターハリス・カンパニー社代表の笹目浩之氏が担当。
サンキュー手塚ソロライブVol.18
パントマイムエンターテイナーであるサンキュー手塚。年に1度開催しているソロライブの18回目。博士が作る、一見役に立たないようなロボットがあるキッカケで暴走し、街を破壊していく。ロボットの暴走を止めるには、世界のリーダーたちが一堂に会し話し合う必要がある。2020年7月に開催予定だったソロ公演を、コロナ禍のため9月に延期。その間に2020年の状況をも示唆するような脚本に書き換えて上演した。
地域公共劇場連携事業
骨髄癌の少女と、兄妹同然に育った青年の会話。二人のやりとりが同じ病室の患者によって書かれた物語であったなら……。デビュー作『アサッテの人』で芥川賞を受賞した作家・諏訪哲史の同名長編小説を、同じ愛知県出身の天野天街(少年王者舘主宰)が舞台化。2010年、七ツ寺共同スタジオのプロデュース公演として話題を呼んだ名作が、13年振りに復活。オーディションで選ばれた新キャストと共に、三重・名古屋・高知の三都市
(フライヤーより)1992年にはじまった〈日韓ダンスフェスティバル〉は韓日の共通点と差異をともに受け止め、同時代に生きる若い芸術家の課題や問題点を切り開いてきた歴史があります。もちろん道のりはまだまだ続きます。この遥かな道のりに新たな風を起こし、国は違えど相通ずる個々の内なる姿を鮮明にし、21世紀のダンスの現場を構築していきたい…。そんな思いで、一時中断されていた〈日韓ダンスフェスティバル〉の名称
ダンスがみたい!—批評家推薦シリーズ—
ケイタケイは1969年9月、「LIGHT」でニューヨークデビュー。同年12月には「ランチ」を発表した。「LIGHT, Part 4 “ジクゾーパズル”」は1970年12月初演。2005年の「ダンスがみたい!7」では「批評家推薦シリーズ」として参加団体の選出の理由などが推薦者から明示された。ケイタケイを推薦したのは舞踊評論家の山野博大は、オックスフォードの舞踊事典に、伊藤道郎、森下洋子、土方巽などと
瀬戸内海に浮かぶ小島に突然巨大な橋がかかる。あまりに巨大すぎたため島民たちは気づかないのか、以前とあまり変わることなく暮らしている。そこに兄弟がいる。母の死を受けて、兄弟のうち一人は変わろうとしている。一人は何もしない。同僚の音楽教師に淡い気持を抱えているにもかかわらず。音楽教師は島の外からやってきた。生まれてこのかた一度も泳いだことはないが水着を一つ持っている。いつそれを着るのかという問題。
戦争で肉親をなくす不幸にもめげず けなげに生きる少女の感動の物語 戦争を知らない世代におくる
紅花の赤、そして恵みの雨、拾い屋の徳の「残酷な運命」人に化ける、ニセモノ、替え玉、どんでん返しを盛り込んだ井上戯曲の傑作。雨乞いに隠された庶民の思いと引き換えに、一人の男が仕組まれたものとは。東北羽前国平畠藩...そこは一面の紅花の里。瓜二つの紅花問屋の当主になりすまそうとした江戸の金物拾いの徳言葉、習慣を捨て、自ら証明するものを失っていく。騙したつもりが騙されて、替え玉になったつもりの徳を待ち受
白石加代子「百物語」アンコール公演
明治から現代の日本の作家の小説を中心に、「怖い話」「不思議な話」を、白石加代子が立体的な語りと動きで演じる人気シリーズ白石加代子「百物語」のアンコール公演。恐怖とユーモアとが絶妙に味付けされた人情怪談、宮部みゆき作「小袖の手」と、一冊の本に挟まれた時空を超える栞をめぐる不思議な恋の怪談話、朱川湊人作「栞の恋」の2本立て上演。
日本の現代演劇ポスターデジタル化プロジェクト2023
150点の現代演劇公演のポスターをアーカイブ。公演のキービジュアルがデジタル展開され難い、1960年代から80年代を中心に、紙で現存するポスターをデジタル化。ポスターのセレクションは、1960年代以降の舞台芸術系のポスターを収集・保存、これまでも研究や数々の展覧会に協力する等、演劇公演のポスターに造詣が深い、ポスターハリス・カンパニー社代表の笹目浩之氏が担当。
舞台 D4DJ
2.5次元ミュージカル/舞台
日本の現代演劇ポスターデジタル化プロジェクト2023
150点の現代演劇公演のポスターをアーカイブ。公演のキービジュアルがデジタル展開され難い、1960年代から80年代を中心に、紙で現存するポスターをデジタル化。ポスターのセレクションは、1960年代以降の舞台芸術系のポスターを収集・保存、これまでも研究や数々の展覧会に協力する等、演劇公演のポスターに造詣が深い、ポスターハリス・カンパニー社代表の笹目浩之氏が担当。
いつも優しい気持ちを持って良いことをしていれば、いつか必ず良いことがある。自分のことを思ってくれる身近な人たちや、自分よりずっとか弱い小さな命を大切に思う気持ちがあれば、それと同じだけ自分のことを大切に思ってくれる人が必ず現れる。それは魔法のように不思議なこと。でも信じた人にしかかなわない、本当に起こること。
ロシアの劇作家チェーホフの〈四大戯曲〉のひとつ。47歳の中年男性、鬱憤でいっぱいのワーニャとその姪・ソーニャの物語。田舎屋敷で展開する愚痴の応酬、惨めな失敗に終わるピストル騒ぎ……。地点による初演は2007年。2018年の新演出では、チェーホフによるサハリン島までの旅の記録『シベリヤの旅』をコラージュ。ルポルタージュの先駆けとも言われるこの手記により、チェーホフの冷徹とも言えるまなざし、その視線が
(フライヤーより)それは、地球の上から学校というものが姿を消してしまった時代。子供たちの教育は、すべてパソコンによって行われていた。レミは中学二年生。パパとママとオバアチャンの三人と暮らしている、ごく普通の女の子。そんなレミの家で、ある日、とんでもない事件が起こる。変わり者のオバアチャンが、街の古道具屋でアンドロイドを買ってきたのだ。それは、一〇〇年前に作られた、理科の先生。名前はケンジ1996。
妻が町内会の温泉旅行中に心臓麻痺で突然亡くなった。康夫は、長年連れ添った妻の急死を受け入れることができず取り乱してしまう。日常生活の中に悲しみを埋めていく中、5人娘たちの思い出話から康夫が知らない妻民子の姿が浮かび上がってくる。王貞治が世界ホームラン記録を達成しようとしていた1977年夏。一枚のレコードに刻まれた夫婦の記録と記憶から、哀しくて可笑しくて、どこか懐かしい家族のドラマが展開する。
おしゃべりだった兄の話をしようと思って、中学2年生の兄は世界の中心だったと思うんです。兄が高校1年生の時、兄の不幸の始まりでした。先に言っておくと、兄はこの先壊れます。あともう一つ言っておきますと、これは「演劇」の話ではなくて、まずこれは「兄」という「人間」の話で。壊れていく「兄」と、滅んだ「僕」と。あと兄に関わった、兄を愛したり憎んだりした「周りの人達」の。まぁ別に大した話じゃありません。
2017年の神奈川芸術劇場での初演、2019年のドイツ・フランクフルトのムーゾントゥルム劇場での上演を経て、「ワーグナー・プロジェクト」初の屋外での実施となった。会場となった「祝祭の広場」は、大分市と建築家・磯崎新氏が主導して誕生した日本初の公共広場である。初日に開催された「ワーグナー・クルー」公開オーデションを皮切りに、全5日間の「ヒップホップの学校」が広場に出現し、第一線で活躍するラッパー・ダ
古典芸能である能の構造を脱構築し、身体と映像のコラボレーションによる現代の舞台芸術作品として甦らせた。コロナ禍によって失われたかに見える世界と、日食の瞬間にだけ地球からも見ることが出来る太陽コロナを重ねて描き、夢と現実の狭間の浜辺で、ありえたかもしれない過去/ありえるかもしれない未来として漂う自らの幽霊と邂逅する少女の姿が描かれる。
シェイクスピア戯曲 "リチャード3世" ”ハムレット”
ゼウス合同会社主催イベント「幸せを呼び寄せる4つの因子『やってみよう』『なんとかなる』『ありがとう』『あなたらしく』の中から太田宏の独演部分を公開。1部:映像(ゼウス自主映画「12R Singke 」)2部:独演(野地将年、太田宏、井上幸太郎)3部:LIVE(Naomi Grace、松下進、HiNACOMACHI 他)
ローマ帝国皇帝カリギュラ(菅田将暉)は最愛の妹を亡くし、姿を消す。国政が滞り、右往左往する貴族たち。3日後、ようやく現れたカリギュラはエリコン(谷田歩)に、不可能なことを手伝うよう、内密に頼む。その一方で、王としてあらゆる民から財産の没収を突然宣言し、人々を混乱に陥れた。 それから3年。カリギュラは、処刑、横領、貴族の妻を奪い公営売春宿で働かせる、市民の食料保管庫を閉鎖して飢饉を起こすなど、暴君の
ここは狗奴の国。邪馬台国との戦に備えなんだか周囲は殺伐としている。そんな中、ある集落のはずれに間抜けな三兄弟を中心にした家族が住んでいた。彼らはとても愉快に暮らしている。しかしある日、不思議な男が紛れ込む。「うわ、早く追い出さないと」「だけどあの人、泣いてたよ!」 弥生時代を舞台に〝現在〟を描く。私たちは誰に優しくしたらいいんだろう?
原爆投下から3年後の広島を舞台に、父と娘の精緻な対話が織りあげる、ほのかな恋の物語。しかし核兵器の、人類の存在をも脅かすそのおぞましい力は、可憐な娘の心にも大きな傷跡を残していた。生きる喜びを失くしてしまった娘にふたたび希望の光を蘇らせるために、いま、父は全身全霊で娘に語りかける。
外国の戦地に慰問に来ていたグループが突然消えた。噂によればその鉄塔に男たちはいるという。 1998年に初演。戦争という過酷な状況の中、鉄塔の上で交わされる下らないやり取りを描き好評を博した。それ以来、数々の団体によって上演され続けている劇団代表作をオリジナルメンバーで上演。同じ場所で展開する時間軸の違う短編をプラスし新たな地平で物語は完結する――
『父と暮せば』で原爆投下後のヒロシマを描いた井上ひさしが、桜隊の史実をもとに原爆投下直前の広島の3日間を舞台に、戦時下でも演劇を愛し、芝居の力を信じ、「一人ではできないことをしている、一人の人間の力をはるかに超えたなにか大きなもの、なにか豊かなもの、なにかたのしいもの、それを望んで、それをたしかに手にいれている」と身も心も捧げた人々の苦難と喜びを、笑いと歌声を交えながら描く“演劇讃歌”の物語。
古い週刊誌のモノクロページに残る若かりし頃の母。夫婦漫才師の家で家政婦として住み込み、浮き草稼業の芸人たちに囲まれて微笑む女の姿は、失踪を重ねた行方知らずの母親を探す異父兄弟にとって、たった一つの手がかりだった。根無し草の様に忽然と姿を消さざるを得ない母の人生を辿る息子たちが母に恋した瞬間、人生がシンクロする。心の傷を隠しつつも、気楽に生きようともがく人間の家族のあり様を問う物語。
2008年から2016年にかけて3回に渡って来日し、舞踏家大野慶人の稽古を体験したアナ・リタ・テオドーロによる、大野慶人の稽古についてのレクチャーパフォーマンス。「ねじれた体や白塗り」などの舞踏のクリシェを取り払ったところに何があるかに興味をもってリサーチを重ねたアナ・リタの、舞踏に対する外からの深い視線が生み出す新たな作品であると同時に、大野慶人の稽古に触れることのできる貴重な作品ともなっている
『アンティゴネ』は、2017年、世界最高峰の演劇の祭典「アヴィニョン演劇祭」からの招聘を受け製作された。静岡市・駿府城公園でのプレ公演を経て、客席数約2,000のメイン会場「アヴィニョン法王庁中庭」で演劇祭のオープニング作品として上演。人を善悪に二分しない王女アンティゴネの思想に、「死ねばみな仏」という日本人の死生観を重ねた独創的な演出、舞台全面に水が張られた装置や、高さ30mの法王庁の壁面に俳優
夫婦に必要なのは、忍耐より隠し事なのか・・・?親友に必要なのは、誠意より共犯意識なのか・・・?ケラリーノ・サンドロヴィッチが初めて描く、熟年夫婦の倦怠と、彼らに翻弄される若者たちの日々。ひょんなことから、数十年ぶりの再会を果たした高校時代の同級生ニチカ(余貴美子)とミラ(高橋ひとみ)。ニチカは親から引き継いだ大会社を経営するググ(渡辺いっけい)、ミラは売れないカメラマン・ミクリ(高橋克実)とそれぞ
『池上show劇場【DELUXE】』Aプログラム
山の手事情社の作劇方法《山の手メソッド》を用いて俳優たちが作った数々のシーンから、厳選したものを寄席形式にまとめました。具体的には、ちょっとシュールな寸劇《ショート・ストーリーズ》、自分自身に降りかかった出来事を感情豊かに語り合う《漫才》、身近にいる印象的な人やモノをヒントにキャラクター化した《ものまね》。それらを飽きないように構成し、老若男女に楽しんでいただけるように仕上げました。
不朽の名作オペラとして知られる『ばらの騎士』。その舞台が華やかな鹿鳴館時代の日本に置き換わり、宮城聰、寺内亜矢子の初共同演出と、古典から現代音楽まで自在に操る根本卓也の音楽で、軽快な演劇作品に生まれ変わる。俳優たちの生演奏にのせ、貴族たちのドタバタラブコメディが初笑いを誘う!
振付家の中馬芳子と俳優のジョン・ネッシが、動きやオブジェとの関わりを通して、都市の質感や建築物を探求する。最後に、旅はメイン州の自然の風景へと続き、ジェイコブ・ブルクハルトのカメラは、葉、水、光、そして霧の中に浮かぶいかだの動きをとらえる。1980年制作。
上でもなく、下でもない。野外のようでもあり、また室内。家族のようでもありまた他人同士でもあるような。コーヒーカップをテーブルに置くとそこは野外の芝生である。 ―じゅんじゅんじゅんじゅんを振付に迎えて製作。舞台美術に大阪のクリエイティヴ集団graf、音楽製作にdumb typeの山中透が全面協力した。モノクロームサーカスの身体を100%活かしつつも、新たな世界観へ導く意欲作