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(フライヤーより)1982年5月5日、〝アラマせんせい″と〝げんごろう″という2人のキャラクターが、詩人・谷川俊太郎氏のことばから生まれました。アラマせんせいは、あわてんぼうで、おっちょこちょい、まるで先生らしくありません。でも、ことばであそび、ことばと戯れ、知らぬ間に日本語の楽しさや豊かさを私たちに伝えてくれるから不思議です。「ことばあそびには手も足もないから私が出かけていくしかないの」と、アラ
東京郊外の星川眼科医院。医院長の賢一は、閉院を決意した。そして賢一は、医院に三〇年間勤め、彼の一人娘の母親代わりをもつとめた看護師の陽子に蓼科のコテージをプレゼントし、勇退。これで一件落着。ところが「先生、私、嘘をついていたんです。ここはどうしても、先生に辻褄を合わせていただかないと」「私、死ンジャウワ」とまでは言わないけど、ともかく、賢一、その嘘にノルことになって初冬の蓼科へ。陽子の看護学校時代
悲劇的な立場に置かれた5人の女優が、自らの不条理な状況を憂い、飾り立て、時に正当化しながら、自身の不幸を声高らかに語りあげます。現実社会で起こるリアルな悲劇と、不幸な自分に酔い不幸を誇張するフェイクの悲劇、また舞台上のフィクションとしての悲劇という3つの異なる時空から「悲劇」の構造を捉えることで、自分とこの世界の関係性を見つめ直します。 今を生きる私たちにとって「悲劇」とは何か、また人々は不条理と
何日君再来
品行方正児童会第8回公演。フェスティバルのテーマである「ガリバー旅行記」を異空間と捉え、詩人・高村光太郎と母を探す少年の出会い、曖昧屋の人々とその客の家庭、町を渡り歩くサーカスの母娘などの情景を描く。特徴ある円形劇場の舞台を素のままで使用し、持ち込まれる道具と音響効果のみで場面を演出、時に客席通路まで俳優を配して観客それぞれを取り囲む異空間を仕立てた。
カナダのハドソン湾にある小さな孤立したイヌイットの村のお話。金髪で青白い肌を持って生まれた女の子、アナトゥ。しかし、イヌイットの掟ではそのような肌を持った者は、不幸をもたらすものとされ、同じ大地に住むことは許されない。村にいられなくなったアナトゥは、イヌイットが決して入ってはいけない神聖な森の中に足を踏み入れてしまう。そこでアナトゥは森の神に出会うのだが…
日本・セルビア演劇交流プロジェクト
【日本初演、五人の俳優、十五人の登場人物、三つの愛の物語】かつては希望の象徴だった町。そこに集まった三世代の男女5人。信じていた全てが崩れ落ち、都会の無秩序な繋がりの中、愛に飢え、自分の居場所もない。それでもなりふり構わず人生に挑み続け、辿り着いた先に見えた世界は、天国か地獄か!? 紛争後のセルビアそして世界の「リアル」を描いた、セルビアン・ブラック・コメディーを本邦初訳で日本初上演。
三谷幸喜の書き下ろし作品。小説「ジキル博士とハイド氏」をベースにしたコメディ。19世紀末のロンドンを舞台に片岡愛之助、今作が初舞台となった優香、藤井隆らが出演。二重人格をテーマに据えたロバート・ルイス・スティーヴンソン著作の怪奇小説「ジキル博士とハイド氏」に着想を得た、シチュエーションコメディ。「ただ面白いだけの、笑った後に何も残らない喜劇を創りたい」と三谷が語るように、彼自身が感じる普遍的な笑い
(フライヤーより)古典劇じゃない。伝統芸能でもない。これは「今」生まれたばかりのコメディだ!陽気で元気なイタリアがここにある!アントニオ・ファーヴァのコメディア・デラルテ
日本の現代演劇ポスターデジタル化プロジェクト2023
150点の現代演劇公演のポスターをアーカイブ。公演のキービジュアルがデジタル展開され難い、1960年代から80年代を中心に、紙で現存するポスターをデジタル化。ポスターのセレクションは、1960年代以降の舞台芸術系のポスターを収集・保存、これまでも研究や数々の展覧会に協力する等、演劇公演のポスターに造詣が深い、ポスターハリス・カンパニー社代表の笹目浩之氏が担当。
晴れた日の野球場。企業対抗野球選手権に、名もなき中小企業が進出した。即席応援団も勢いに乗るところだが、試合が始まると言うのに人が集まらない。どうにか応援団の形が整ったもののかり出された駆り出されたのは一癖も二癖もある個性豊かな社員ばかり。当然のごとく、仕事への不満、オフィスラブ、出世競争など人間関係の愛憎劇が次々に繰り広げられていく。そして肝心の試合も二転三転・・・。果たして、試合の行方はどうなる
東京芸術劇場が2015年に初めて制作した、こどものためのオリジナル作品。原作は松尾スズキの文/絵による 『気づかいルーシー』(千倉書房)、脚本・演出はノゾエ征爾。主人公のルーシーと、育ての親のおじいさん、飼い馬が互いに気づかいしすぎるあまりに引き起こす残念な悲喜劇が、オリジナルスコアの生演奏に乗せて、歌あり踊りありで展開する、ほろ苦くも楽しい舞台。2017年の再演に続き、2022年に再再演をおこな
能舞台との交響
「すべての動きが絶妙で優雅」と評された三条万里子の代表作「鳥」は1975年、ニューヨークのバーナード・カレッジにて初演。百人の小ホールから二千人入る大劇場まで、約20年間踊られた。「能舞台との交響」(企画:能楽笛方藤田六郎兵衞)では能舞台という空間で、"伝統と逸脱が混在"する。カザルスがアンコールには必ず弾いたという「鳥の歌」を何度も聴いた三条は、内部から「わたしの動き」が、必然的な動きが溢れ出た
水の流れや木々のざわめき、木漏れ日の移り変わりを眺めるようにダンスをみたいという思いから創作しました。繰り返すようでいて、同じ動きは2度とない。そんな自然の揺らぎを動きに定着させたい。鍛錬や日々の努力を見せるだけでなく。ダンスはもっと自由で豊かであるべきだ。
(フライヤーより)俺はリトルリトル族のサン。森の住人と呼ばれてる。一年前、スノウホワイトってかわいいお姫さまを助けて大活躍したのはいいんだが、結局、彼女はとっとと隣国にお嫁に行ってしまい、残ったのは傷ついた仲間の七人だけ。それからみんなの仲もギクシャクしちまって、結局森の家には俺一人になっちまった。そこにまた人間の女が逃げ込んできた。名前はレッドローズ。しかも、性格はかなり悪い。でも、なぜか彼女の
東京2020 オリンピック・パラリンピック能楽祭 ~喜びを明日へ~ 第一日
聟になる息子が父親と二人で舅のもとへ挨拶に行くが、袴が一着しかないため二人でなんとか胡麻化して舅に袴姿を見せようと苦労する。しかしついに見つけられて恥をかく。
あらゆる年齢層を対象に、新しい舞台芸術を創造すべく、「ウブ・ボミーいのちのひびきー」を創作。宮沢賢治の「ペンネンネンネン・ネネムの伝記」を原作にミュージカルとして製作。「宮沢賢治とアフリカ音楽の出会い」をモチーフに、グローバルな演劇の創出を目的とした。お化けの国アフジメリカのはずれの森深く。ベンネンネンネン・ネネムは、食べ物を探しに行ったきり帰らない父母と、誘拐された妹を探しに都会に出かけるが…
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第15回小田島雄志翻訳戯曲賞受賞『月は夜をゆく子のために』に続くトランスレーション・マターズ上演プロジェクト第2弾!森鴎外の翻訳と現代語翻訳で織りなす“市民悲劇”
ゲストに劇団唐組の稲荷卓央や、橋田雄一郎、太田清伸を迎えた、2021年の作品。
日本を心底恨みながら日本人を心から愛した魯迅。これはこの魯迅とその妻と、彼の臨終に立ち会った四人の日本人の滑稽な、しかしなかなか感動的な物語です。
闇の底の底空の果ての果て潜っていく闇に着床する種いのちの珠を孕む垂直に あいだを紡ぎながら丁寧に歩を進める重力の底深い空そこに咲く花
オスカー・ワイルド原作の名作童話を原作に、大人も子供も楽しめる、目にも楽しい朗読劇を創作。平和への祈りに満ちた視点で、温かくほろ苦く翻案したオリジナル戯曲です。「青色文庫 -其弐、文月の祈り-」と題した、古民家でのリーディング上演を、美しい映像作品にした本作。親子でもお楽しみいただけます。お客様からの熱い再演希望により、劇団のレパートリーとして繰り返し上演。大人の絵本のような、珠玉の短編作品。
とある県立高校。サッカー部の舞原健はモンスターペアレントの母のことを担任・浦川麻由に相談していた。そんな折、スクールカウンセラーの藤堂智絵が着任し、麻由と意気投合。その藤堂の相談室に、いの一番に訪れたサッカー部マネージャー奥野早織は「浦川先生と舞原くんが怪しい」と衝撃の告白をする。教育現場を舞台に、教師と生徒の関係、さらには生徒と親と学校の距離感等を丁寧に紡ぎ、届けるのは――「慈愛」。
沖縄の日本復帰から10年が経った1982年、人口41ひと、そして小学生がだった一人になってしまった鳩間島は存亡の危機に立たされていた。その生徒も三学期の終了とともに西表島に転校することになっている。そうなれば、診療所も郵便局も交番もなくなり今となっては島の唯一の公共機関である小学校は廃校となり、島の過疎に拍車をかける。ひいては廃村といった事態に陥るかもしれない。そこで島野大人たちは、親戚の子を島外
今までの生きてきたこと、出逢い、全ての軌跡があり生かされている。そして、ここから紡ぎ出される未来がある。変わりゆく時代において今ここで出来ることの可能性へ。からだ丸ごと飛び込み生ききりたいと思います。
(フライヤーより)滅亡に瀕した地球にさいごの天使が羽をひろげるとき、ひかりはいのちになった。
日本の現代演劇ポスターデジタル化プロジェクト2023
150点の現代演劇公演のポスターをアーカイブ。公演のキービジュアルがデジタル展開され難い、1960年代から80年代を中心に、紙で現存するポスターをデジタル化。ポスターのセレクションは、1960年代以降の舞台芸術系のポスターを収集・保存、これまでも研究や数々の展覧会に協力する等、演劇公演のポスターに造詣が深い、ポスターハリス・カンパニー社代表の笹目浩之氏が担当。
1945年8月、ソ満国境虎頭で何がおこったか?ウスリー江をへだててソ連領と対峙している虎頭には、当時東洋最大の地下要塞があった。ソ連参戦時、この地下要塞には、関東軍満州第十五国境守備隊、軍人家族、軍属、満蒙開拓団の老人婦女子、満州職員など、2500人の日本人がいたが、そのうち、無事故国へ帰りついたのは、わずか53名だった。あとの2千数百人の邦人は、破壊された地下要塞のなかで、今も永遠の眠りについて
東北岩手から集団就職で上京した田舎娘は希望に胸膨らませていた。 しかし現実は、希望に膨らむ胸ではなく、彼女たちのはじけそうな二つのオッパイに、男たちの欲望がふくれてあがる。 職を転々、男を変転と流転続きで、果てはストリッパーへと転落なのか…、いやいや、男の玉を手玉にとって、天下に成り上がる。 その娘の名は、 ―ヘレン天津。 栗山民也の巧みな演出と小曽根真の新曲で誰も観たことのない、今、一番新しい井
ガリラヤ領主ヘロデ。彼は妃の娘である王女サロメにただならぬ目線を向けているが、その目線に耐えられなくなったサロメは、自分のお目付け役である若いローマ人の男と関係を持つようになった。その逢瀬の際、預言者ヨカナーンの存在を知った彼女は、彼が閉じ込められている井戸に向かう。預言者との接触は王により禁じられているのだが、サロメは色仕掛けで見張り番であるシリアの青年に禁を破らせて預言者を見てしまう。
歌あり、ダンスあり、ゲームあり。何でもアリの楽しい舞台。演劇って、こんなに楽しいものなんだってことが、キミにもきっとわかるはず。子どもと俳優がいっしょになってつくる劇。もちろんおとなも大歓迎!ピッコロ劇団の小学校体育館巡演作品を、阪神・淡路大震災5周年にあわせてバージョンアップして、ホールで上演した舞台。
美しい妻を愛することを知らずして愛しすぎた男ヴェニスの将軍であるオセロが、故なき嫉妬のため、その妻を殺し、自らを罠にかけた男や妻の罪なき召使いを殺し、最終的に自らの命を絶つ。
あたしは人の話を聞かない。あたしはあまり謝らない。あたしはたびたび遅刻をする。あたしは秘密を守らない。あたしは、あたしの話しかしない。あたしの癖に。二年前と、何も変わらない。柳瀬真由が夢見るとても幸せな日常と、それとはかけ離れた毎日を、スクランブルさせつつも真正面から捻くれて描く。
今作は過去編と未来編の連作である。過去編は〈日差し〉の視点から〈森〉との婉曲しながらもシンプルな関係が描かれる。物語は二人の別れから始まり、その末、日差しは見たことはあるけどいつもと違う、過去とも未来ともつかない空間に漂着する。未来編では日差しと森の娘である〈春望〉が主人公となり〈陽子ひいばあちゃん〉を探す旅に出る。またインタールードとして現われる〈せかい〉の存在が作品世界全体を複雑に揺り動かす。
【作品ノート】一言では収まらないほどたくさんの問題や出来事がいっぺんに やってきた2020年。全世界でコロナウイルスが猛威をふるい、ストレスや意見の違いが表面化し、分断や差別、ヘイト、ハラスメントがネットでも実社会でも横行しています。同時に、それらと向き合い、 戦う人も増えてきています。2019年に受賞した前作「亡命入門: 夢ノ国」は、差別意識と分断、コンテンポラリーダンス界の自明性 など、所謂「
`90年に『科学する精神』として初演。`96年に続編『北限の猿』との2本立で全国ツアー中に、こまばアゴラ劇場で収録。遺伝子操作で新しい人類を誕生させようよする生物学実験室の若い研究者たちの怠惰な生活…。恋愛中心の青春群像劇、また最先端の情報を盛り込んだSFとしても楽しめるエンタテイメント作品。
青年が死んだ。死因は心臓マヒ。26才、未来産業としての原子力にあこがれ、原子力発電所に就職して、七年目の死だった。息子はなぜ死んだのか。母親の、なりふりかまわぬ追求で知られていなかった事実がつぎつぎと浮かび上がる…。息子を思う母親のひたむきな愛があきらかにした原発の真実!1982年には福島や新潟、福井をはじめ、原発所在地や建設予定地など、日本縦断公演を実現。
この話は宇宙からのメッセージを受け取った人々が、その真偽を巡って葛藤する様子を描いたものである。宇宙開発が進む少し未来のある日、双子の寺尾兄弟(一人二役で演じる)は宇宙開発機構に勤めているが、そこで思わぬ陰謀が進んでいることを知り、それを阻止しようとする。危険を顧みず、機構を脱出して外部に情報を伝えようとするが行く手を阻まれてしまい・・・。登場人物に実在の人名・団体が登場するがこの舞台はすべてフィ
処女舞踏公演4部作「葬送シリーズ」のうちの「火葬」。原作:スタニスラフ・ド・ガラ咀嚼公夫人。チラシにはエルネスト・サバト「トンネル」からの抜粋が掲載されている。「…冷酷なほど厳然として / 目的地に向って航路を保ち続ける、船長の姿を想像してください。 / でも / なぜその目的地に向かうのか / 分かっていないのです。」
日本の現代演劇ポスターデジタル化プロジェクト2023
150点の現代演劇公演のポスターをアーカイブ。公演のキービジュアルがデジタル展開され難い、1960年代から80年代を中心に、紙で現存するポスターをデジタル化。ポスターのセレクションは、1960年代以降の舞台芸術系のポスターを収集・保存、これまでも研究や数々の展覧会に協力する等、演劇公演のポスターに造詣が深い、ポスターハリス・カンパニー社代表の笹目浩之氏が担当。
本作「錆色のアーマ」は、戦乱の世を舞台に、天下統一を夢見た男たちが、企み、惹かれ合い、裏切り、葛藤するそれぞれの生き様を描いた物語。実際の史実に基づいた、完全オリジナルストーリーとなる。今や世界に誇る日本文化のひとつとなりつつある、漫画・アニメ・ゲームなどを原作とした“2.5次元舞台”。その流れとは逆に、まず舞台版が生まれ、そこからアニメをはじめとするメディアミックス展開を図っていくこの「錆色のア
「WAVE」は点から拡がり点に戻るシンプルな構成と、エネルギーの波動に共感を呼んだ加藤の舞踊の原点。「点と遠景とカンタータ」は、カルダーの絵画より白い衣装に置かれた黒点、舞台両側に座る詠唱と鐘等の奏者を設置。東洋の足捌きの入るミニマルな舞踊が繰り広げられる。「FIUME」は、イタリア語で河の意味。一点の雫から全てのものを呑み込んで海に向かっていく悠久の流れ。動きと音と声が合流し生命の営みを紡いでい
「放浪記 」 「 浮雲 」 など 庶民の目線で 名作を残した林芙美子の戦中 ・ 戦後を描く音楽評伝劇 。 「 放浪記 」 でたちまちベストセラー作家となった林芙美子 の 日中戦争が迫る 1935年 昭和 10年から第二次大戦を経て 、 47歳で 心臓麻痺で急逝する戦後 1951年 昭和 26年まで の 16年間の軌跡をたどります 。
南河内万歳一座座長、内藤裕敬作・演出の演劇公演。公募市民とプロの俳優が出演する地域密着型の演劇プロジェクト。住む人がいなくなった家はどうしてこんなに寂しいんだろうか。空き家の増加、墓じまい、少子高齢化などの社会問代をテーマにした作品。時代とともに変わっていく価値観、地域の伝統や家族の歴史は守らなければならない?守らなくてもいい時代?じわじわと感じている境界線を繊細に描きながら、笑いと豊岡のローカル
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「溶けたアイスがもとに戻るまで……。」埼玉の新興住宅地から遠く離れた空き地で足を止める他人たちは、少しの時間をそこで過ごす。どうやってここに来たのかわからない、行き先もわからない。人々の交わす言葉が夜空に四散する、空き地戯言エンターテインメント。
婚期をのがした三姉妹が「もうこうなったら身内しかいない」と親戚の男たちを自分たちの家に招く。長女に「若い女子との合コンがある」と誘われてやってきた男たちは、それが呼び出す口実で三姉妹しかいないことを知る。男たちが意気消沈する中、三姉妹も男たちも一緒に酒を飲み盛り上がる。そしてしばらくすると、男たちは眠ってしまう。実は、長女がその酒に睡眠薬を入れていたのだ。三姉妹も意識がもうろうとする中、「一緒に眠
いつ高シリーズvol.7
この雪が止むまで、図書室にいよう。テーブルを本でいっぱいにして、つまみ食いみたいにちょっとずつページをめくりながら過ごそう。朝についての印象的な書き出しからはじまる女子高生の話、気だるそうな主人公が日常のちょっとした謎を解いていくミステリー、異世界に転生したら全部うまくいくファンタジー。お気に入りのセンテンスを拾い集めながら代わる代わる本を読んで いく。そのうちウトウトしはじめて、気づいたら睡眠。
「国家と芸術家」シリーズ
1920年代初頭に「乳白色の下地」という独自の技法を確立し、日本人として初めてパリで成功した画家、藤田嗣治。彼の人生の内、パリ時代(1913年~29年)と、日本に帰国後、トレードマークのおかっぱ頭を丸刈りにし、軍部の協力要請に従って、「アッツ島玉砕」等の戦争画の創作をしていく太平洋戦争時代(1938年~45年)を取り上げた評伝劇。
僕の名前は羽山走次。8歳で小学校の3年生。それはある日、突然、起こったんだ。お父さんもお母さんも、いきなり子どもになっちゃった。お兄ちゃんも幼稚園児みたいだし、おじいちゃんはまるで赤ちゃん。どうしてこんな不思議なことが起こってしまったのだろう? それはどうも、ぼくの精神年齢だけが大人になった、ということらしい。つまり僕から見れば、精神年齢の低い人は学校の先生だろうが子どもに見えるってわけ。でもどう
(フライヤーより)僕は夜中に台所でこっそり懐中時計を呑みこんだ
陸の孤島と化し、立ち退きを迫られた病院を舞台に、わざわざ通院してくる老人や幽体離脱できる入院患者など、病院に集う人々の人間模様を描きながら、神の存在の有無にも踏み込む。
作品ノート: 日々流れる時間の中で、身体は時間とどのように関わり、どのような影響を受けているのか?人は生まれた時から時間とともに、死に向かって進んで行く。この作品は、そのような身体が持つ時間の流れをテーマにしている。今回、時間を表すものとしてビートが最初に頭に浮かんだ。そしてこれを時間を表すひとつのキーワードとして、作品作りをしました。身体には心臓の鼓動、ビートがある。人は生きている限り、鼓動は休
本島北部国頭村辺土名のハンドー小という娘の悲恋物語。ある日ハンドー小は台風で遭難した伊江島の島村家の男・加那の世話をする事になる。そのうち二人はお互いに心を通わせる深い仲になっていく。ところが加那には伊江島に妻がいた。迎えに来た妻に連れ戻される加那は、ハンドー小には何も言わずに帰ってしまう。互いに愛を誓いあった加那に心変わりがあるはずがないと信じているハンドー小は、従妹のマチー小と船頭主の取り計ら
大好きなパパを小さいとき事故で亡くしたキャピは、キャリアウーマンのママが留守がちでもへいっちゃら、男言葉を使う元気な女の子。ある日キャピは、近くの森にUFOが下りたのを発見。仲良しの友達とUFOを探しに行って大ダコみたいな宇宙人に出会う。うっかり居眠りをして宇宙船においてかれちゃったんだって。宇宙船が迎えに来るのは1年後、仕方なくキャピの亡くなったパパそっくりに変身しその名もウナカさん。この宇宙人
「H」は、human(人間)、hope(希望)、homeless(ホームレス)、hurt(痛み)の意。コロナ禍において増加する貧困生活者や苦しみを抱えた方達が心身の豊かさと希望を取り戻すきっかけとなることを願い、横浜・東京の公共空間を主とした8会場で、新人Hソケリッサ!新作ダンスパフォーマンス『ヒニヒリズム/今度会ったらロクでもない奴らと仲良くなりてえ・・』、映画上映、トーク、WS、展示を展開。
横浜ダンスコレクションR 2005 受賞者公演
『どんとゆけ』『どんとゆけ』の設定は、死刑執行に被害者遺族が関与できるという、架空の「死刑員制度」が施行されている世界。青森県津軽地方のある家に一人の死刑囚が連行されてくる。この家には獄中結婚により妻となった女性が暮らしており、これからここで死刑が執行される。死刑執行のために現れた被害者家族と、死刑囚の妻であることに酔いしれているような女と死刑囚らの、執行までの濃密な時間のドラマ。初演は2008年
コンピューター・ウィルスがついに日本上陸。あるソフトウエア開発会社のホスト・コンピューターにもウィルスが侵入した! 4人の技術者たちは阻止に知恵を絞りながら悪戦苦闘、ついにハッカーを突き止めるが、ウィルスは技術者たちの想像を超えて暴走し始める……。 めざましい勢いで進化し続けるコンピューターは、どこまで人間に近づけば気がすむのか? そもそも人間は新しい生命体を創り出す神になれるのか? SF的世界の
大駱駝艦の女舞踏手として70年代を共に過した田中陸奥子と古川あんずによる「紅絹(もみ)の会」発足記念公演。「紅絹」とは、 緋紅色に染めた極薄の平絹で、べにばなを揉んで染めることからその名がある。チラシには、アイラ・ガーシュインが作詞した「言い出しかねて(I can't get started)」の訳詞が掲載されている。