dance for camera
dance for camera
エイコ&コマの映像作品。1977年の舞台作品FUR SEAL(オットセイ)を映像化予定だったが、撮影現場で動きをつくり直した。1983年11月に、野生のオットセイが棲息するカリフォルニアのポイントレイズ国定海岸でピーター・ヤプルの協力を得て撮影し、1984年3月、ARC Videodance(ニューヨーク)のジェフ・ブッシュの協力で編集した。元々は無音の予定だったが、エイコが波の音を挿入。アメリカ合衆国の国立芸術基金による助成を得て作品として結実した。
演劇博物館別館6号館3階「AVブース」にて視聴可能です。
尾竹永子と尾竹隆のダンス・ユニット。土方巽の元で出会い、大野一雄に学びながら、1972年にEiko & Komaとして活動を始めた。1973年に渡欧、ドイツでマニア・シュミエル、オランダでルカス・ホーフィンクに師事。1976年渡米。以後、ニューヨークを拠点として世界中で高い評価を受け続けている。振り付け、演出、衣装、舞台美術、出演、ビデオの制作・編集まで二人のコラボレーションとして行い、独自の身体表現を追求。近年ではソロ活動にも力を入れている。マッカーサー賞、スクリプス賞など受賞多数。
TRILOGYと共に上演したこの作品は、アレン・ギンズバーグが作曲したウィリアム・ブレイクの「乳母の歌」に振付けた。アレンとは1980年にコロラド州のナロッパ大学で講義をしていた時に友達になった。公演では、友達たちとつくった即席バンドDIRT BANDの演奏で、親友だったスタンドアップ・コメディアンのボブ・キャロルに歌ってもらった。この公演から間もなく、私達はニューヨークシティーを離れ、この作品を
1988年にブルックリン・アカデミー・オブ・ミュージック主催のNext Wave Festivalで新作「Tree」と共に上演された。背景幕と床は焼いてペースト状に練った小麦で覆われ、剥がれ落ちる音が無音のこの作品の音となる。「内なる渇きを大事にあやすことで、私たちは生への渇望を自覚するのです」。1985年初演。1989年日本公演で上演された。
大地と命の分かちがたい結びつきを踊るこの作品は、ニューメキシコ州のタオス・プエブロに住むネイティブ・アメリカンの音楽家Robert Mirabalとの共作。創作過程でMirabalは来日もした。Eiko&Komaの6歳の息子Yutaも出演。後に弟Shinがその役を受け継いだ。初演は1991年。
dance for camera
LAMENTは映像作家のジェームス・バーンとのコラボレーション映像作品。動きはエイコ&コマの1984年の作品ELEGY(悲歌)を改作している。ミネソタ州ミネアポリスのウォーカー・アート・センターからの委嘱を受け、アメリカ合衆国の国立芸術基金とジェローム・ファンデーションからの助成により作品化。1985年7月、ニューヨークのトリプレックス劇場にて収録、1986年に編集。PBSで全国に配信された。©