1959年に青森県八戸に県内で初めて創設された精神病院。初代院長の千葉元は、生活の場そのものが癒しであり治療であるべきとの信念から、農業などの「作業療法」だけでなく、陶芸や彫刻制作を通した「芸術療法」、石井満隆や宇野萬ら舞踏家と共に行った「舞踏療法」等を実践、精神科リハビリテーションの草分け的な取り組みを行った。その様子は、1975年から青南病院に通った写真家・羽永光利の写真による『砂丘への足跡 Seinan Dr.Chiba and Art Therapy』(1985年、千葉元追悼刊行委員会刊)に詳しい。
青南病院舞踊療法 発表会
青森県八戸市にある精神病院《青南病院》で行われていた舞踊療法の発表会の様子を撮影、編集。1980年頃から写真家の羽永光利の紹介で舞踏家の石井満隆が青南病院に通った。東京在住で頻繁に通えない石井は、練習の手本をビデオで送り、通信教育的に患者たちを指導した。精神病院という特異な場所という理由もあり、発表会は関係者のみの公演となったという。小道具や衣装、メイクなども石井や病院スタッフ等で行った。
青南病院舞踊療法 発表会
青森県八戸市にある精神病院《青南病院》で行われていた舞踊療法の発表会の様子。1980年頃から写真家の羽永光利の紹介で舞踏家の石井満隆が指導していたが、石井が他の病院でも教えるようになると、宇野萬など他の舞踏家も参加するようになった。石井は後に「舞踏療法」とは「人間の本当の姿」、偽りのない姿だと語っている。