風に色があるか否かは知らないがうつろう風のなかには、確かにそれぞれの景色が棲んでいる。風の景色を見た時から人は踊りを知る。しあわせなことに景色を見たのが、少年の頃であれば、少年は必ずダンサーになる。だが不幸なことに、知らなければ何事もなく終わってしまったであろう人生のなかばで風の景色を知ってしまった人は哀しい。
空中に庭園を築こうという中世人の夢想は贅をこらすことによって半ば実現したといわれています。空中庭園にしつらえた五つの部屋には、五つの幻想(ゆめ)が置かれており、泉閣士は、次々にその扉を開き、皆様を幻想の部屋に誘います。
折田克子が演出・振付し、泉勝志のダイナミックな構成力とナイーブな細部を見事に引き出している。肉体に共棲する基督と猶太の混沌を最も深刻に自覚する舞踊家、泉勝志にとってこの世紀末に訪れた凪いだ時代は、逆説的にふさわしい。孤高の存在として饗宴を主幹し、舞台で風を切り駆走しなければならない真の悲惨が予定されている。饗宴は招集されたばかりである。
折田克子は稀にみるオリジナリティを有した現代舞踊の作家である。新作「タオ」は、79年作の「憶の市」にみられた儀式性を、開かれた場に移している。人間の内側のメカニズムと内在するドラマを、ダンサーと振付者の作業のなかで、外容化し顕現する。それらの交叉するコアで起こり得るものの探索である。タオは過去に記憶をもった異端者達に古代の夢を見、精神を未来に開く。(公演プログラムより)
生きながら死んでいる少女は無数に散りばめられたパラソルに紛れ乱舞する…… パラソルは、いつしか真紅の曼珠沙華になりカラカラと風になく風車に…… 十一面観音にみとられ、少女は湖底に横たわり、虚空には夜の月がのぼる。──月をめぐり、くりひろげられる少女と青年の混沌への道行き。形体(フォルム)と混沌(カオス)の本質的な出会いをめざす折田克子のダイナミックな豊穣の世界。
ーやわらかい月が地球に接近しありとあらゆる硬質な突起を発生させ地球がその本質をあらわにしたころの記憶を人類はほんとうに喪失してしまったのだろうか。
(フライヤーより)滅亡に瀕した地球にさいごの天使が羽をひろげるとき、ひかりはいのちになった。
(フライヤーより)アンドロイドは夢を見る。静止した地球が見ている太古の夢を……。「昔、ヒトは翼をもち、光のなかを翔んでいた。」託された幾千万の想いがひとりの少女に光の翼を与えた。