玉造小劇店配給芝居vol.24
玉造小劇店配給芝居vol.24
明治初期。
元武士家系であった鈴木家に万太郎と千次郎という兄弟があった。
兄が育子という妻をもらうのだが、料理がとにかく不味い。
初めてのお正月にお節料理を出してくるのだが、
好物の高野豆腐も喉を通らない程に不味かった。
しかし万太郎は「美味い…」と、つい言ってしまう。
ここから鈴木家の料理は下降の一途を辿るのである。
大正になると、万太郎と次女の家族の時代になる。
大正12年には関東大震災が発生。
それを逃れ、長男・慎太郎の元に嫁いできたのが関東人のハルで あった。
この時、ハルが手土産に持って来たお節料理。
老いた万太郎は関東の濃い味付けの高野豆腐に痛く感動し、
「この味が今日からうちの味や。やっと自分が蒔いた種を刈り取れる日が来た。」と喜び、
一筆書いた後、息を引き取る。
昭和。
次男の裕次郎が中国に渡ったり、慎太郎とハルの三人の息子、
慎一、慎介、 慎吾も次々と戦争に取られ、
鈴木家も大きな時代のうねりに巻き込まれていく。
敗戦後。
長男の慎一が満州から戻り、やがてまた家族が増えていく。
高度経済成長があり、娘たちが派手になり、グループサウンズがあり、学生運動もあり、
南方戦線で 戦争終結を知らず、
未だ独りで戦っている軍人が見つかったのだが、 それが戦死したと思っていた弟だったり…。
時代と共に人も、姿も、食べるものも変わっていく。
平成。
阪神淡路大震災が発生する。
関東大震災を逃れて関西にやってきたハルだったが、70年以上経って再び震災を経験する。
それを機会にハルは親戚家族たちの前で、 百年以上続いた家を手放す決意を報告するのだった。
現在。
空き家になっていた鈴木家だったが、東日本大震災が発生し、家を提供することになる。
聞いたことのない東北弁を喋る一家がやってくるのだが、
その中 に育子という名前の女の子が居た。
明治時代、最初にこの家に嫁いできた嫁と同じ名前である。
この家に新しい時代が始まろうとしているのだった。
演劇博物館別館6号館3階「AVブース」にて視聴可能です。
2002年に中島らも事務所より演劇制作の団体として独立。劇団もわかぎゑふが二代目座長に就任し「リリパットアーミーⅡ」と改名。
劇団の本公演、古典芸能とのコラボ作品、朗読劇、ノンバーバル作品など幅広く手掛ける。
わ芝居~その弐
昭和3年。天乃屋本家は旦那が事故死、番頭は病死、残ったのは跡取り娘の病弱なシズ一人。病弱な娘には婿の来手がなくこのままでは本家がつぶれると、親戚一同困っていた。せめて一代だけでも繋げれば、何とかなるかもと考え都合のいい男として白羽の矢が立ったのが手代・伊助であった。伊助は断れず、本家の旦那に就任してしまう。計画は順調に思われたのだが…。古典芸能とのコラボ企画として誕生した「わ芝居」シリーズ第二弾。
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