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家族最年少の母カジュ恵は焦っていた。夫の母から「真の孫」を求め続けられているのも、義理の娘二人が妊娠していることも。なにより長女幸子が十六カ月も身籠っていることが-。ギリシア喜劇の傑作「女の平和」を大胆に解釈し、性と家族の闇を歩く。キャスト全員客演で送る、劇団UZ旗揚げ準備公演。
"1981年、早稲田大学大隈講堂で劇団「第三舞台」の旗揚げ作品として上演された、第三舞台の代表作を、紀伊國屋ホール開場50年記念公演として17年ぶりに上演。 本作は、上演される時期のの世相に沿う形で内容を常に進化させ、再演を行っている。 玩具メーカー「立花トーイ」の世界と、ベケット「ゴドーを待ちながら」を下敷きにした世界を、5人の登場人物が駆け巡る。 "
きぬよ63歳。夫に先立たれ、楽しみと言えば野良猫にエサをあげること。そんな野良猫も最近は姿を見ていない。そんな折、昔の劇団仲間が訪ねてきた。彼らの説得で、しぶしぶ芝居の稽古を始めるきぬよ。だが数十年ぶりの芝居は楽しかった。きぬよに認知症の傾向があり心配になって実家に戻ってきた、きぬよの一人娘のなおみ。きぬよとなおみのこれまでとこれからの物語。きぬよ、人生最後の大舞台の幕があがる!!
僕たちの一夜の奇妙なアルバイト。それは明日取り壊される古い屋敷の床下に埋めらえた”ある物”を掘り起こすことだった。正義と邪悪が交錯し、夢と絶望が裏取引を繰り返す都会の真ん中に、忽然と姿を現した現代の羅生門で、僕たちが見たものはいったい何か―――。
おやすまなさいは眠りたい人と寝て欲しくない人の話で、それは死にたい人と死なないで欲しい人の話でもあり、男とか女とか、年齢とか、そういうこと関係なくただそれだけをやりたいと思って書いた戯曲です。(前田司郎)
「ひとりの娼婦が寝ている。目を凝らすと、それは、彼女の立ち姿であることに気づく。」という冒頭の一節を起点として、12人の登場人物が一夜の出来事を紡ぐ物語を、二人のダンサーの身振りと唄、笛、太鼓、三味線の生演奏により描き出す。暗喩的な台詞から浮かび上がるイメージを掬い上げながら、演劇・ダンスの境界線への接近を試みた本作品は、東京芸術祭2021 主催プログラムとして、2021年10月22日 ~10月2
「リアリズムにおけるインチキの仕方」確立への足掛かりとなった初期代表作品。南河内万歳一座の演劇システムマイトガイ・アキラはテンガロハットをかぶり、ギターをしょって馬に乗り、やたら拳銃をぶっ飛ばす無国籍な小林旭ヨロシク男。そんなアキラはふと自己嫌悪に陥り、自分の故郷を探し出そうとする。望郷の念と家出願望というふたつの相反する想いの相克を綴っていく。
閉鎖病棟の誰かが言った。「アホロートルはネオテニーなんだって。子供のまま大人になるの。幼形成熟っていう。でもたまに陸にあげると、大人に変態する奴も出てくる。その代わり、ウーパールーパーの愛らしさは失われる。どっちがいい?」これは私の叛逆。私は醜くなってでも、この腐った水槽から這い出るのだ。
若い男女が経営する閉店間際の寂れた定食屋。そこで働く女は突然やってきた謎の夫婦によってつい最近冷やし中華が禁止されたことを知る。混乱する女に、夫婦は冷やし中華を提供するよう懇願するが…。はじめられなかった冷やし中華を皮切りに、出生とそれにまつわる人々の人生が浮かび上がっていく。
荷降ろしの手伝いのため駆り出された拓海は、藍染工房と金魚の展示がある町屋で父のトラックを待っていた。そんな拓海をよそにイベント会社の従業員たちは、自治体から依頼された町おこしのため謎解きゲームの企画を考えるが、いまひとつ良いアイデアは浮かばない。話題はあちこちに転じ続け、居合わせた拓海も次第に打ち合わせに巻き込まれてゆく。僅かな沈黙の後、拓海はつぶやいた。「ねえ、金魚ってなんのためにいると思う?」
東のはずれに、ある島があった。街には多くの人が溢れ、人々は行列になって進んでいく。行列の先には真っ赤に燃える炎があった――――。五輪の聖火、命の灯、誹謗の炎上、祈りの煙。社会を焼き尽くす数多の炎を、芥川龍之介の「アグニの神」をモチーフに描く。世界劇団が全人類に捧げる人間賛歌。身体と言葉を燃やし、炎の創成記を紡ぎ出す
日本理化学工業株式会社が昭和35年から取り組んでいる知的障がい者雇用をモチーフに描くことで、障がい者雇用の未来や問題点、何が妨げになっているのか、今後の課題などを観客と共有し、我々の中に存在している差別意識に改めて目を向けると共に、障がい者が当たり前に社会進出できる社会を作る為に市民にできる事は何か、観客と共に考え、より良い社会形成の為に行動できるよう企画しました。
オスカー・ワイルド原作の名作童話を原作に、大人も子供も楽しめる、目にも楽しい朗読劇を創作。平和への祈りに満ちた視点で、温かくほろ苦く翻案したオリジナル戯曲です。「青色文庫 -其弐、文月の祈り-」と題した、古民家でのリーディング上演を、美しい映像作品にした本作。親子でもお楽しみいただけます。お客様からの熱い再演希望により、劇団のレパートリーとして繰り返し上演。大人の絵本のような、珠玉の短編作品。
近松門左衛門の浄瑠璃の抜粋の他に、ルイ・マル、フランソワーズ・トリュフォーのシナリオ、稽古場で即興を重ねて創作した場面などで構成された様々な「女と男」の物語。
1985年日本演劇界の話題を独占した「碧い彗星の一夜★Ⅱ」から1年。北村想の新作書き下ろしを得て、さらにパワー・アップした<真冬の夜の夢幻劇>が下北沢・本多劇場に出現。北村想・宇崎竜童・流山児祥の黄金トリオで放つ86年演劇界を震撼させる”ショーゲキとカンドーのFAIRY TAIL”誕生。既って見た白黒スタンダード映画のような…<恋の物語>天気予報は明日の予報をもう出さなくなった。明日もまた雨である
演劇落語は矢内文章の脚本・演出で、古典落語の素材をリスペクトしながら坂口修一との二人芝居でみせる現代演劇シリーズ。今回は「皿屋敷」「死神」を題材としている。ともに古典落語の有名な噺であるが、二人芝居に置き換えることでそれぞれの持つ人間のおかしさ、悲しさが肉体を伴って表現される。
喜劇昭和の世界三部作
『キネマと怪人』、『ブランキ殺し上海の春』と共に「喜劇昭和の世界」三部作を構成する。佐藤信は天皇制に切り込むべく、二・二六事件による戒厳令下の東京に架空の街を出現させ、阿部定事件を絡めながら昭和の終焉を描こうとした。なお、本作の巡業先だった沖縄での上演が不許可になり、裁判に発展した。これをきっかけに劇団は意識的に公有地を上演場所に選ぶことで全国の公有地を開放する運動をはじめる。
2025年一横須賀。「大深度有人潜水調査船しんかい12000」が初航行を行う。向かう先は、世界の最深部であるマリアナ海溝チャレンジャー海淵だ。一方、1875年一横須賀ではチャレンジャー号がマリアナでの深度調査を追え、停泊をしていた。事件をきっかけに過去と未来は繋がれ、深海の神秘や生命の起源についての仮説が浮き彫りになった時、未来へ託す壮大な夢がそこに現れた。
ああ いいなせいせいするな風が吹くし山はぼんやり
メルヘンと詩。シュールとエロチシズムと犯罪の幻想音楽劇。月よりも、もっと遠い場所・・・・それは〈劇場〉! 寺山修司十三回忌となる1995年、再演希望No.1の声に応え、演出家に生田萬をむかえて幻想音楽劇『青ひげ公の城』を上演。寺山修司が魔術的幻想音楽劇と名付けた『青ひげ公の城』はペローやグリムの童話などで知られる、次々と花嫁を娶っては殺害した青ひげ伝説がモチーフ。そこは今、まさに『青ひげ公の城』と
いつ高シリーズvol.7
この雪が止むまで、図書室にいよう。テーブルを本でいっぱいにして、つまみ食いみたいにちょっとずつページをめくりながら過ごそう。朝についての印象的な書き出しからはじまる女子高生の話、気だるそうな主人公が日常のちょっとした謎を解いていくミステリー、異世界に転生したら全部うまくいくファンタジー。お気に入りのセンテンスを拾い集めながら代わる代わる本を読んで いく。そのうちウトウトしはじめて、気づいたら睡眠。
仕事場、私生活。ちっとも上手くいかない。私は他の人と何かが違う。病院で検査を受けたら、ただの性格の問題と診断された。僕は/私はどうやら『普通』らしい。ここからどこに向かえばいいのか。発達障害グレーゾーンをテーマに描く、青年団リンク やしゃご第4回公演。
男は理想郷を探して彷徨い、人々は野生を求めて山を経巡る。京都を拠点に創作を行う劇団・烏丸ストロークロック。2011年の東日本大震災を契機に、日本人の自然観に大きな影響を与えたと考えられる山岳信仰を題材に選び、仙台での滞在制作といくつかの短編劇創作を経て、2018年に誕生した『まほろばの景』。ロームシアター京都と東京芸術劇場にて上演し、話題となった初演後、さらに東北地方の神楽や修験道に関する現地取材
「見えない壁」等の一般にイメージされるいわゆる「パントマイム」に囚われず、ダンス・コント・台詞芝居・歌・プロジェクションマッピング、そしてYouTubeでのメインコンテンツであるワンカット撮影といった様々なパフォーマンスをミックス。 パントマイムならではの身体性や空間の使い方を際立たせ、YouTubeのファンもそうでない人も、老若男女誰しもが楽しめるようなエンターテイメントを目指して構成されてい
グランドフィナーレ! 扇町ミュージアムスクエア最終公演
さよなら、バイバイと、今ある社会からオサラバしよう。どうせ経済のチキンレースは続き、ブレーキのかけ所を逸し、取り返しがつかなくなり、衰退の一途を辿る。人が、そこに居ることから出直さなけりゃ。デジタルを恐れよう。
ユニット美人が2012年に半年をかけて上演した三国志シリーズ(全5話)。三国志お馴染みの武将たちを女性が演じる。「命をかけて誰かを守ったことがあるか?」という謎の声にNoと答えた33歳独身会社員の粥見ひとみは、三国志の部屋に閉じ込められてしまう。元の世界に戻るために漫画版三国志を読み込み、10年間の社会人経験を活かして、三国志の世界で誰かを守るために試行錯誤を重ねるのだった。
気高き城の薔薇よ…私に眠るディオスの力よ…主に応えて今こそ示せ!〈薔薇の花嫁〉〈未知のデュエリスト〉絶対運命黙示録のリズムにのせて天上ウテナが剣をとる。世界を革命するために―⁉世界の殻を破壊せよ!天上ウテナが、姫宮アンシーが、魔界の百万の剣士と戦う!人気アニメ映画版公開直前に夢の企画が実現。月蝕歌劇団が舞台化!
ぐりぐりグリム
ぐりぐりグリムのふしぎな森に、今日も誰かが迷いこむ。楽しいことが待っている。驚くことが隠れてる。ぎらぎら空には太陽だ。どれどれどっちに進もうか?ぐりぐりグリムのふしぎな森で、今日も誰かがすれちがう。いろんな動物が待っている。どこかに魔女が隠れてる。そらそら空にはお星さま。どきどきグリムの物語。さあさあさっそく始めよう
QoiQoi第4回本公演。アーツカウンシル東京単年助成カテゴリーⅠ採択。オリジナル作品を書き下ろし、外部の新たなキャスト・スタッフと共に作り上げた挑戦作。劇場は語らない。笑い。涙。歓喜の拍手。多くの人々をただひたすら見てきた。劇場は思い出す。繰り返してきた人々の営みを。観客の眼差し、キャストの汗。スタッフの真剣な横顔。劇場は語らない。劇場は覚えていた。劇場は全て覚えていた。
過去にスペースノットブランクが上演した『舞台らしき舞台されど舞台』をセルフリメイクした『舞台らしきモニュメント』。「在る物」としての舞台を「現れる物」としてのモニュメントに代置し、上演(時間)と舞台(空間)の関係を見直そうとする純粋舞台。「舞台三部作」から変化した「物体三部作」の第一部。
君はきっと、ひとりじゃない。これから先はどうかわからないけれど。六送会。そう呼ばれていたのは、深土小学校の本年度卒業生たちを見送る、学芸会のことである。4年B組は、授業で学んだ『スイミー』のお芝居を発表するため、練習に励んでいるはずだった。ある日、ある児童の母親が深土小学校を訪ね、訴える。「先生、どうしてうちの子がスイミーではないのですか?」不登校になる児童。度を超えた抗議に、休職に追い込まれる4
昭和18年、戦争の早期終結の為には、軍部独裁を強める東條内閣を打倒するほかないと考えた中野正剛。重臣会議により東條英機を退陣させようとするが、その工作は失敗に終わる。逆に造言飛語、倒閣疑惑により警察に拘留されてしまう。10月26日に釈放されたが、憲兵隊の監視付で自宅で監禁される。憲兵は中野正剛を脅迫、自白を強要し議員辞職を迫る。ペンを折られ、言論の自由を封じられ、監禁された中野正剛。しかし、彼には
”貧しい家に生まれた兄弟チルチルとミチルは、幸福の青い鳥を求めて冒険の旅へ出た。”世界中の人々に親しまれた童話劇を幼少期のメーテルリンクが運河の底で体験した「光」の記述をもとに再構成した、モメラス版『青い鳥』。
◎公演概要観終わった後、きっと優しくなれる劇です。高齢化社会の「今」を切り取るバカバカしくも切ないシニカルな芝居です。老人を取り巻く環境、その家族の葛藤。老若男女、誰にとっても未知なる老い先を演劇で切り取ります。◎あらすじ国無歳三(自立、まだらボケ)が老人仲間4人とともに有料老人介護施設から集団脱走。介護士の久留美と孫の菊代は旅に同行するハメになる。統率が取れていることを不思議に思う久留美。菊代は
ブレヒトルネッサンス
劇団創立20周年記念公演。明治初年、「お江戸」から「東京」と名がかわった品川の宿。泣く子も黙る大悪党、剃刀左平次を真ん中に、泥棒と乞食と娼婦たちがくりひろげる三つ巴の仁義なき戦い。「金」と「セックス」の栄光をもとめて、最後に笑う者はいったい誰か?黒色テント「ブレヒトルネッサンス」第一弾。
シェイクスピアシリーズⅠ
イギリスの劇作家シェイクスピアの四大悲劇の一つである「マクベス」を題材に、社会に対する鋭いまなざしを持つ劇作で評価が高い、くるみざわしんが新解釈で戯曲を執筆。マクベスという暴君を、それを生み出した背後にある社会構造や人間関係などを現代社会とリンクさせ、男たちの闘争劇から女たちの物語へと再構築した。
────あーー! 何回死ねばいいの? もし、死んじゃっても、必ずわたしのいるところに、来て────何度も殺されるフフと、何度も助けるミチコのふたりは小さなループを作り、生活していた。ある日、そんなふたりのルームに映画を撮りたい男たちがやってきたことでループは歪む。撮影が開始されたルーム内で、生きているひと、死んでも死なないひと、もう死んだひとらがガチガチにぶつかりあい
QoiQoi第3回本公演、文化庁AFF2採択。2020年から続けている福島県でのリサーチをもとに、家族の心のつながりを描いた意欲作。あらすじ今から遠い遠い未来の話。父親の死がきっかけで、10年ぶりに実家に帰ってきた長男、与人。与人の帰りをよく思っていない弟、愛生。2人を見守る母、聡子。あの時の事故で壊れた家族の歯車が、再び前に進み出す。
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香港にそびえる魔窟・九十九龍城。不法に増改築が重ねられたその建造物には、あらゆる欲望が渦巻き、不平等と悪がはびこっていた。ひしめく屋上民と看板民。無許可の肉屋。パチモン工場。インチキなショーパブ。黒社会。内偵を命じられた刑事・ヤンとリーは、遠隔監視システムを使って覗き見るも、やがて深入りし…。物語がオーバーフローする夜、世界の秘密がめくれだす。2年ぶりの本公演は、異常密度の魔窟劇。
望月昌志は若くして作家としての名声を手に入れ、妻の久子と鎌倉の古い息遣いが聞こえるような洋館に暮らしている。二人の静かな日々が孕んでいた「小さな疑問」。自身に向けられたそれは、幻聴となって昌志を苛み、義妹の広子や彼の作品を信奉する有坂らとのただならぬ仲へと彼を落としこむ。知らぬふりを通す妻。それゆえさらに乱れる夫の心。夫婦の苦しい愛はもつれていく。春雨の降る日、今はもう春の色さえ忘れてしまったと嘆
双子の王子が生まれました。片方は幽閉され、その長い人生を高い塔の中で過ごしました。やがて双子の王子は成長し大人になりました。そして二人は出逢います。
あの日、変わらぬ信号を待っていた。青い空に赤信号、それは太陽だったかも知れない。押されないボタンのせい、でも私たちはそれに気づかない。そこから時間はたったのか、それとも刹那。ばらばらの断片を、とんとんと揃えたら。だれだろう。向こうにいるのは。だれだったろう。向こうにいたのは。
あらすじ櫻井真希(28)は東京で新人ライターとして働いている。ある日、実家大阪の父から中国に住む祖母が亡くなったこと電話で知らされる。この電話をきっかけに、真希が閉ざしていた過去が少しずつ鮮明に思い出されていく。それは、約10年間病気であった母を家族と支え、歩んできた記憶であった。中国で生まれた母の、日本での苦悩。それを理解しきれない家族の苦悩。家族内に存在する二つの苦悩の狭間で葛藤、衝突の中、櫻
その茂みの先には…あらゆるものが息を潜め、様々な思惑がうごめく鬱蒼としたジャングル。そこに直面したとき人は進むのか、諦めるのか、武器を手に闘うのか。現代社会をジャングルに見立て、さまよう人間の姿をユーモア溢れる怒涛のドタバタ劇でおもしろおかしく、時に鋭くえぐり出す。
頑張り屋さんの13歳の少女Aが、難病の少女Bのケアについて、少女Bの母親から学校のクラスへの強い介入を受ける。自身もネグレクトを受け孤独な少女Aは、唯一心を許す担任の男性教師の中に自分の居場所を作るため、自ら少女Bのケアを買って出て、少女Bから男性担任教師との二人の時間を取り戻そうとする。幼い決意が招く、「罪と罰」の物語。「ほんの少し、ボタンを掛け違えた人の悲劇に寄り添う」がモットーの坂本企画が、
近松門左衛門の『曾根崎心中』と四世鶴屋南北の『東海道四谷怪談』を、「生活は汚れである」という世界観のもとにドッキングした作品。心中に失敗した男女の愛が落ち延びて生活するうちに萎びてゆくドラマを、古語による台詞と非日常的・非生活的な身体で描いた。生活に近い言葉や身体ではなく、コンフリクトを抱えた俳優の身体の中に、生活のドラマを追求した。
文化祭の前日は繰り返されなくて、ぼくたちは片隅の踊り場、変わり映えのない一日を見送ってた。増えていく過去形と消えていく可能性の間で右往左往する姿はまるでダンスみたいだねって言ってくれたことを忘れるわけない。ここは居心地がいいけど、文化祭はとっくに終わったしお腹も空いたし、もう行く。
遊戯空間 シアターΧ提携公演
東日本大震災直後、福島在住の詩人和合亮一がTwitterで投稿した「詩の礫」は世界に拡散され大きな反響を呼んだ。震災以前からの旧友である篠本賢一は震災4ヶ月後にそれを舞台化して東京で上演。本作はそれから2年後、新作詩「廃炉詩篇」を舞台化したものである。原発廃炉の問題、放射能、汚染土、被災者たちの苦しみ、収束を見せぬ多くの課題に被災者の立場で向き合う詩人の声を、現代音楽と俳優の言葉、身体で劇化した作
罪を犯した女の一生を辿る、滑稽ながら切ない怪作。現在活動休止中のガレキの太鼓が、「女だらけの人間賛歌」と銘打って行った。旗揚げ2年目で、口コミサイト全国4位に躍進した代表作の、再演。アゴラ劇場の前を、キャンセル待ちが長い列を作った。肩を震わせ泣いたあの子の、人生の物語ひざまずいて許しを乞えば、どこから始められるだろう私が何かをやったとて、誰に関係なんぞあるあなたが何かをやったとて、私の目には入らな
・あらすじ少年時に同じ人物から性被害を受けたコースケとノゾミ。そしてコースケの弟リオ。場所はコースケの部屋。コースケはノゾミとリオを部屋に集め、彼らの被害を告発する記事への協力を依頼する。性被害の加害者は実は彼らの父親だった。しかし、告発する事で更なる迫害を受けると彼らは意見がぶつかり合い、コースケは抑えられていた精神状態が錯乱し刃物を彼らに向ける…。・概要少年性被害を取り上げた物語。“持続可能”
ニッポン全国、今夜もパソコン通信であちこちに会話の花が咲く。ハンドル名「ヤリタイ」「シタイ」「小夜子」「天涯孤独」の4人もそんな仲間だ。ところが初めて直接に顔を合わせる「オフ会」が近いというのに、シタイからの連絡が途絶えてしまう。そしてある日、仲間全員にシタイから謎のEメールが。指示に従ってヤリタイが手に入れたのは、白い粉の入った謎の小瓶……。それは小夜子にも天涯孤独にも届けられていた。シタイは何
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穂の国とよはし芸術劇場PLATプロデュース
穂の国とよはし芸術劇場PLATプロデュースの第二弾。穂の国とよはし芸術劇場の芸術文化アドバイザー(2017年当時、19年4月からアソシエイトアーティスト)であったアル☆カンパニーの平田満と劇場との共同企画。KAKUTAの桑原裕子の作・演出、平田満、井上加奈子、増子倭文江、中尾諭介、多田香織、小林勝也といった出演者により、2017年12月に豊橋、北九州、東京で上演。団地の一室を舞台に描かれた小さな作
あらすじ:場面はエレベーター。3人が乗っているところに遠藤が乗り込み、清掃員の蒼木が「何階ですか?」と尋ねる。遠藤が「5階です」と答えると、短い昇降の後、再び遠藤がエレベーターに乗り込む場面に戻ってしまう。困惑した4人はループから抜け出そうと3階で降りたり共通点を探したり試行錯誤するが、最後には「どうせ繰り返すなら死んでも生き返るのでは」と考え、自殺を試みる人まで現れる。
私は今、映画を撮っています。撮っています、といってもまだシナリオも何も決まっていません。しかしどうせ撮るなら究極の映画を撮りたいと思っています。1000年後も見られているような、究極の映画を。先ほど何も決まっていないと申し上げましたが、名前だけはもう決まっています。タイトルは、「4047」。
十五周年を迎えてのごあいさつ 市堂 令人生七十年、化転のうちに比ぶれば”石の上にも三年掛ける5”の光陰は矢の如し………※昔の事を言えば鬼が笑う 過ぎた事を色々と言っても仕方ない、ということ※来年の事を言うと鬼が笑う 未来のことは予見できる訳もないから口にすると、人の運命を左右する鬼”無知な奴”と笑うということ。どっちにしろ鬼には笑われる。笑う門には福来たる。鬼の門にも福が来る。天晴れ、天晴れ。ファ
脚本執筆前の小沢佑太(脚本・演出)による宣言文(一部抜粋)です。「僕が初めて東北のまちを訪れたのは2014年7月、震災後4年目を迎える夏でした。あれから2年に1回、観光として東北に行っています。13年の月日が経ち、その間にも各地で大きな災害が毎年のように起こっています。そこにある小さな想いを汲んで、変わっていくもの・変わらないものに目を向けて、丁寧に繊細に素直に描いてみようと思います。」
市内にある4つの高校の演劇部は、合同発表会のあと、演劇部の顧問の話し合いによって県大会に進む代表校を決めている。高校生らしさとは?演劇とは?4校の顧問による本年度の代表校決定までを描く。
1987年、月蝕歌劇団旗上げ作品の再演。七里ヶ浜に転覆したボートに乗っていた少年たちは何処に消えた? 血を吐く美少女の正体は何か? 戦前の帝都に出現する女神の目的は? 因果の小車の渦の中、真白き富士の嶺♪緑の江の島♪の旋律にのせてハーメルンの笛吹き伝説と女子挺身隊が結合する!