作品ノート:
日本人は働きすぎと言われている。適度に披露を得た肉体は「誰かのために尽くした」と単純なことを教えてくれる。しかし働き過ぎて肉体が過労死直前にまで辿り着けば、意味を失い、何も語れなくなる。言うなればこのダンス作品は“誰も救えない日本労働社会” へ視線を向けている。
ここは横浜の歴史を積み上げ聳え立つ赤レンガ倉庫。 シンプルなこの空間に想像の橋を建造する。それは新たな時代へ架ける橋となる。
働くことは誰かのための生き方。踊ることも誰かのための生き方。
演劇博物館別館6号館3階「AVブース」にて視聴可能です。
1913年に創建された倉庫をリノベーションした文化施設。コンセプトは「芸術文化の創造発信」と「賑わいの創出」。コンテンポラリーダンスやアートを柱に、新進アーティストを世界に発信している。フレキシブルな機能を持つホールとギャラリースペースを有し、ダンス等舞台芸術公演や展覧会、屋外広場でのイベント等を通じて横浜の文化と観光のハブ機能を担う。
作品ノート:「この街は芸術迷子だ。」というフレーズがしっくり来る。利益至上主義国家である日本では都市の開発や機能性向上を掲げ、日々、街の外観が更新されている。反するかのように芸術は一方的に避けられ、事実活動が窮屈になっている。芸術の都と呼ばれるフランスでは芸術の地盤が整っているが、故にアートで溢れ返っており、表現の根源を見失う芸術家も多かった。表現できる環境を求め、自分の活動に適した街へ移住する芸
[作品ノート]黒い制服姿の女子3人。レモンを巡る、束の間の断想。静かで、奇妙で、どこか懐かしい。そわそわ、じりじり、ゆるりゆるり。意地悪な泣き笑い。そして、爆弾が――。
作品ノート:沢山の物が形を変えて僕たちの所に返ってくる。何の迷いもないメルヘンにおおわれた私たちは、また揺れる。紡いだ分だけやりたくなって、忘れた分だけ哀しくなった。自分達を取り戻す旅に出ようかと思っている所です。
作品ノート:二人のダンサーが、四本の柱と一枚の板を用い、様々な関係の可能性を試行する。立つ・倒れる・寝るなどの、単純な動きの機能を媒介にして、体が物質と等価に扱われる。繰り返される動作=作業と、木材と体を床に打ちつける音の反復は、目と耳にこだまし蓄積する。ダンサーが非人間化し、体の具体性がリズムとフレーズに奉仕する時、“syzygy”は見るものに抽象的な世界の手触りと、興奮を与える。