大野一雄の最も古い弟子の一人である上杉満代が踊る、第1回大野一雄フェスティバル(2004)参加作品。踊りは神奈川県立歴史博物館玄関前から始まり、舞姫はおびただしい数の大野一雄の衣装が吊り下げられている旧富士銀行(BankART1929 馬車道ホール、現東京藝術大学大学院)へと運ばれる。
演劇博物館別館6号館3階「AVブース」にて視聴可能です。
1949年大野一雄現代舞踊第一回公演を機に設立され、1961年に横浜市保土ケ谷区に稽古場が建設された。以来、大野一雄、大野慶人の創作の場として数々の作品を生み出すと共に、公演、ワークショップ、出版などの事業主体となって活動の基盤を担ってきた。
大野慶人を被写体とする16ミリフィルム映像。2018年に大野慶人宅で発見されたものだが、撮影の経緯など詳細はわかっていない。無音の映像で、制作途上のフィルムである可能性もある。1969年に開催された大野慶人ソロ公演のポスター写真に衣装とメークが酷似しており、公演を準備している時期に鎌倉の海で撮影されたものではないかと推測されている。
大野一雄フェスティバル2010参加作品。1977年に初演された大野一雄の代表作「ラ・アルヘンチーナ頌」を、森村泰昌を始めとしたジャンルを超えたアーティスト達が、各シーンをそれぞれのアプローチで踊り継ぎ、現在の出来事として現前させる。
大野一雄フェスティバルで観客の楽しみのひとつとなっていた、横浜の街を移動しながらダンス公演を観覧する「横浜ダンス界隈」。2008年は「移動シアター/DoCodeMo System」を導入、伊勢佐木町から新港埠頭までの日常の場を「劇場」に転化した。
劇団民藝の北林谷栄を中心に活動していたと思われる「しのぶ会」第2回にて、大野一雄が2作品を踊った。「一艘のカヌー桜の木の下を往く」は白石かずこの詩を下敷きにした作品で、この年の2月にあった江口隆哉の追悼公演でも上演している。リスト作曲「愛の夢」は主に大野一雄の代表作「わたしのお母さん」の最後に踊られるが、一曲踊るという機会には度々選ばれた曲である。