大地と命の分かちがたい結びつきを踊るこの作品は、ニューメキシコ州のタオス・プエブロに住むネイティブ・アメリカンの音楽家Robert Mirabalとの共作。創作過程でMirabalは来日もした。Eiko&Komaの6歳の息子Yutaも出演。後に弟Shinがその役を受け継いだ。初演は1991年。
演劇博物館別館6号館3階「AVブース」にて視聴可能です。
尾竹永子と尾竹隆のダンス・ユニット。土方巽の元で出会い、大野一雄に学びながら、1972年にEiko & Komaとして活動を始めた。1973年に渡欧、ドイツでマニア・シュミエル、オランダでルカス・ホーフィンクに師事。1976年渡米。以後、ニューヨークを拠点として世界中で高い評価を受け続けている。振り付け、演出、衣装、舞台美術、出演、ビデオの制作・編集まで二人のコラボレーションとして行い、独自の身体表現を追求。近年ではソロ活動にも力を入れている。マッカーサー賞、スクリプス賞など受賞多数。
1972年に渡欧した時は振付に関する確たる考えもなく、パフォーマンスをただ考えついては、いつも「White Dance」と呼んでいた。アメリカへ移る前の日本滞在中に、私達はニューヨークデビューに向けてこの作品を振付け、1976年5月6日、ベアテ・ゴードンの企画により、ジャパン・ソサエティに於いてこの作品でデビューを果たした。映像は2011年、アメリカン・ダンス・フェスティバルでの再演より。
dance for camera
エイコ&コマの映像作品。メディア作品制作で映像作家とのコラボレーションを経験したエイコ&コマは、自分達だけでHUSKを制作することを決意。コマがカメラマンの役割を担い、エイコのソロを撮影した。ビデオ・カメラの再生機能を使い、一回の長回しとして体とカメラによる振付をつくりあげた。撮影は1987年5月、ニューヨークのカンポ・カルチュラル・センターにて。©1987, Eiko & Koma.
1988年にブルックリン・アカデミー・オブ・ミュージック主催のNext Wave Festivalで新作「Tree」と共に上演された。背景幕と床は焼いてペースト状に練った小麦で覆われ、剥がれ落ちる音が無音のこの作品の音となる。「内なる渇きを大事にあやすことで、私たちは生への渇望を自覚するのです」。1985年初演。1989年日本公演で上演された。
dance for camera
エイコ&コマの映像作品。1977年の舞台作品FUR SEAL(オットセイ)を映像化予定だったが、撮影現場で動きをつくり直した。1983年11月に、野生のオットセイが棲息するカリフォルニアのポイントレイズ国定海岸でピーター・ヤプルの協力を得て撮影し、1984年3月、ARC Videodance(ニューヨーク)のジェフ・ブッシュの協力で編集した。元々は無音の予定だったが、エイコが波の音を挿入。アメリカ