この作品は1957年に初演。伊那谷から四日市の紡績工場に働きに来ていた女工さんたちのつづり方サークル「生活を記録する会」に取材して共同制作したもの。集団就職で紡績に働く娘たちは、当時盛んだったサークル活動で仲間をつくり、書くこと、話し合うことを通して自分たちの置かれている状況や、古い村の体質、女の立場の弱さを発見し、仲間とともに現実を乗り越える力を獲得していく。
演劇博物館別館6号館3階「AVブース」にて視聴可能です。
1954年創立(劇団三期会1967年東京演劇アンサンブルに改名)。演出家広渡常敏を中心にベルトルト・ブレヒトの『今日の世界は演劇によって表現できるか?』を問い続け、現代演劇の創造を続けている。
1977年東京武蔵関‘ブレヒトの芝居小屋’を拠点として、日本・海外の創作、翻訳戯曲を上演。海外公演や全国演劇鑑賞会、学校の演劇鑑賞教室などで旅公演を行っている。児童演劇も創立当初から全国のおやこ劇場とともに沢山の作品をうみだしてきた。講演会、シンポジウムなどで地域との交流など活動は幅広い。
2019年本拠地を埼玉県に移し‘野火止RAUM’がはじまった。
ジョバンニは、北の海へ漁に行って帰らない父を待ち、病気の母の世話をしている孤独な少年。学校ではいつも皆にからかわれ、たった一人カムパネルラだけがジョバンニの友達だった。美しく飾られたケンタウルスの星祭りの夜。ジョバンニは町のざわめきから離れて、一人丘の上に寝転がる。突然、汽車の轟音が聞こえたかと思うと、いつの間にかジョバンニは天の川を走る軽便鉄道に乗っていた。ふとみるとカムパネルラも乗っている。二
初日の幕が開く直前、パレスチナの俳優が一人こない。俳優たちは、満席の客を前に、この危機をどう乗り越えようか途方に暮れる。すべてを賭けて稽古してきた日々を思いながら、俳優たちは即興で舞台をやり遂げようとする。ティティはパレスチナを語り、日本人、在日朝鮮人は自分を語る。わたしたちは何故演劇をやっているのか?わたしたち、とは何なのか?パレスチナと日本の異なった現実が交錯し、溶けあい、同時代を生きるわたし
人が蠅のようにバタバタと死んでいくアフリカを逃れてエリージオとファドゥールは希望を求めてやってっ来た。しかしここでは、自殺ビルから毎日人が降って行き、街路では銃が乱射され、高速道路では自殺者が大渋滞を引き起こし、人は人に冷淡になっていく――。ある日ふたりに目の前で赤毛の女が海に入って死ぬ。翌日、ファドゥールと盲目の踊り子アブゾルートが出会いこの世界の片隅で生きる人びとがつながりはじめる……。
小さな山の分教場に、外国人のような子が転校してくる。その子がいる所では風がどうと吹いて教室のガラス戸はガタガタ鳴り、山や萱や栗の木はみんな揺れました。みんなこの転校生高田三郎を、恐れと憧れをこめて、風の神「風の又三郎」だと思いこみます。山の子ども達は三郎と一緒に野山を駆け、馬を追い、滝壺に飛び込みま。いつも風が、どっどど どどう と吹きこどもたちの昂揚した心を、日常から心象の世界へと導くのです。三
