dance for camera
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エイコ&コマの映像作品。メディア作品制作で映像作家とのコラボレーションを経験したエイコ&コマは、自分達だけでHUSKを制作することを決意。コマがカメラマンの役割を担い、エイコのソロを撮影した。ビデオ・カメラの再生機能を使い、一回の長回しとして体とカメラによる振付をつくりあげた。撮影は1987年5月、ニューヨークのカンポ・カルチュラル・センターにて。©1987, Eiko & Koma.
尾竹永子と尾竹隆のダンス・ユニット。土方巽の元で出会い、大野一雄に学びながら、1972年にEiko & Komaとして活動を始めた。1973年に渡欧、ドイツでマニア・シュミエル、オランダでルカス・ホーフィンクに師事。1976年渡米。以後、ニューヨークを拠点として世界中で高い評価を受け続けている。振り付け、演出、衣装、舞台美術、出演、ビデオの制作・編集まで二人のコラボレーションとして行い、独自の身体表現を追求。近年ではソロ活動にも力を入れている。マッカーサー賞、スクリプス賞など受賞多数。
1988年にブルックリン・アカデミー・オブ・ミュージック主催のNext Wave Festivalで新作「Tree」と共に上演された。背景幕と床は焼いてペースト状に練った小麦で覆われ、剥がれ落ちる音が無音のこの作品の音となる。「内なる渇きを大事にあやすことで、私たちは生への渇望を自覚するのです」。1985年初演。1989年日本公演で上演された。
大地と命の分かちがたい結びつきを踊るこの作品は、ニューメキシコ州のタオス・プエブロに住むネイティブ・アメリカンの音楽家Robert Mirabalとの共作。創作過程でMirabalは来日もした。Eiko&Komaの6歳の息子Yutaも出演。後に弟Shinがその役を受け継いだ。初演は1991年。
1972年に渡欧した時は振付に関する確たる考えもなく、パフォーマンスをただ考えついては、いつも「White Dance」と呼んでいた。アメリカへ移る前の日本滞在中に、私達はニューヨークデビューに向けてこの作品を振付け、1976年5月6日、ベアテ・ゴードンの企画により、ジャパン・ソサエティに於いてこの作品でデビューを果たした。映像は2011年、アメリカン・ダンス・フェスティバルでの再演より。
TRILOGYと共に上演したこの作品は、アレン・ギンズバーグが作曲したウィリアム・ブレイクの「乳母の歌」に振付けた。アレンとは1980年にコロラド州のナロッパ大学で講義をしていた時に友達になった。公演では、友達たちとつくった即席バンドDIRT BANDの演奏で、親友だったスタンドアップ・コメディアンのボブ・キャロルに歌ってもらった。この公演から間もなく、私達はニューヨークシティーを離れ、この作品を