Tokyo Scene 88
Tokyo Scene 88
「ピュアな創作現場とアコースティック・サウンドのコラボレーション。ひとと物質の未来に視線をむけながら」がテーマの「TOKYO SCENE 88」は1988年12月8日~11日まで4組のコラボレーションを展開。1974年より九十九里浜で「知覚行為」を始め、自然の中での裸体歩行を100回以上行った後、86年から「ひとり踊り」と名付けた裸体舞踊を行なう川村浪子と、田中泯などの舞踊家や美術家と組んで先駆的な電子音楽を生む野口実とのコラボレーション。
1979年から1991年まで西武百貨店池袋店8階にあった座席数186席の多目的スペース。80年代の先鋭的文化の発信地として、実験映画、ヴィデオ・アート、音楽、ダンスなどから講演や演芸まで、「新しい体験教室」と銘打って12年間で1000本以上のプログラムが開催された。そのジャンル越境的な活動の様子は、『スタジオ200活動誌1979-1991』(1991年、西武百貨店発行)に詳しい。
スタジオ200舞踏講座
土方巽による講演の音声記録。土方巽構成・演出による「東北歌舞伎計画」は、芦川羊子と東北歌舞伎研究会による踊りに、講演やスライド上映などを交え、<スタジオ200舞踏講座>として1985年3月、6月、9月、12月に計4回行われた。講演は、第1回に合田成男と大岡信、第2回に馬場あき子と宇野邦一、第3回に榎本了壱と土方巽、第4回に長尾一雄が登壇。土方は病気のために第4回への立ち合いが叶わず、翌年1月に死去
1988年、早稲田奉仕園で初演。ダンスシリーズ「装束は水」の一作。パリ、エジンバラでも上演された。作中では鏡と蛍光管が用いられる。初演案内状には、「私の踊りの中に少しづつ芽生えてきた自己(性)愛の蒼い魚を、足関節と唇の距離のいたぶりといつくしみの綾取りとして、或いは触れる、触れられるという触感覚のイレウス(腸管閉塞)として、私という肉体の湖の中で渉猟(ハント)してみたい」とある。
STUDIO 200 LIVE PIECES
1982年に中野テルプシコールで始まった川仁宏と田中トシのデュオユニット・マウスピースはその後、加藤啓、古屋俊彦などのコラボレーションを得て継続した。 アントナン・アルトーに触発された声の身体性と即興ライブをひとつの系として、ジャンルの横断と、複数の関係のまん中から生まれ消えるライブパフォーマンスを実験した。「ダブル・バインド」は実質的にマウスピースとして最後の活動となった。
STUDIO 200 LIVE PIECES
1982年に中野テルプシコールで始まった川仁宏と田中トシのデュオユニット・マウスピースはその後、加藤啓、古屋俊彦などのコラボレーションを得て継続した。 アントナン・アルトーに触発された声の身体性と即興ライブをひとつの系として、ジャンルの横断と、複数の関係のまん中から生まれ消えるライブパフォーマンスを実験した。「ダブル・バインド」は実質的にマウスピースとして最後の活動となった。