TRILOGYと共に上演したこの作品は、アレン・ギンズバーグが作曲したウィリアム・ブレイクの「乳母の歌」に振付けた。アレンとは1980年にコロラド州のナロッパ大学で講義をしていた時に友達になった。公演では、友達たちとつくった即席バンドDIRT BANDの演奏で、親友だったスタンドアップ・コメディアンのボブ・キャロルに歌ってもらった。この公演から間もなく、私達はニューヨークシティーを離れ、この作品を二度と上演することはなかった。
尾竹永子と尾竹隆のダンス・ユニット。土方巽の元で出会い、大野一雄に学びながら、1972年にEiko & Komaとして活動を始めた。1973年に渡欧、ドイツでマニア・シュミエル、オランダでルカス・ホーフィンクに師事。1976年渡米。以後、ニューヨークを拠点として世界中で高い評価を受け続けている。振り付け、演出、衣装、舞台美術、出演、ビデオの制作・編集まで二人のコラボレーションとして行い、独自の身体表現を追求。近年ではソロ活動にも力を入れている。マッカーサー賞、スクリプス賞など受賞多数。
大地と命の分かちがたい結びつきを踊るこの作品は、ニューメキシコ州のタオス・プエブロに住むネイティブ・アメリカンの音楽家Robert Mirabalとの共作。創作過程でMirabalは来日もした。Eiko&Komaの6歳の息子Yutaも出演。後に弟Shinがその役を受け継いだ。初演は1991年。
dance for camera
エイコ&コマの映像作品。1977年の舞台作品FUR SEAL(オットセイ)を映像化予定だったが、撮影現場で動きをつくり直した。1983年11月に、野生のオットセイが棲息するカリフォルニアのポイントレイズ国定海岸でピーター・ヤプルの協力を得て撮影し、1984年3月、ARC Videodance(ニューヨーク)のジェフ・ブッシュの協力で編集した。元々は無音の予定だったが、エイコが波の音を挿入。アメリカ
エイコ&コマが全裸で動く最初の作品。体を風景として探っていく。キャッツキル山地での孤立した、山々の動きを感じるとる生活に触発された作品である。ファンデーション・フォー・コンテンポラリー・アーツのフェローシップを獲得した時期に制作した。GRAINとNIGHT TIDEの2作品を上演した一夜でエイコ&コマは初めてのベッシー賞(ニューヨーク・ダンス&パフォーマンス賞)を受賞。1986年に発表したNEW
ブルックリン音楽アカデミー・ネクスト・ウェーブ・フェスティバルからの委嘱作品。お茶で染めた絹布と綿布、乾いた葉、赤のペンキで巨大な樹をつくった。プログラムには、「樹は自らの想い出に傷ついている」とある。私達は二人共完全に全裸で、自然の夜の音を使った。THIRSTと共に第2回ネクスト・ウェーブ・フェスティバルで発表。1989年にはスパイラル・ホールでTHIRSTと共に上演、76年に日本を離れてから初