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岩名雅記独舞踏。初演は1992年で、パリ、ペスカラ(イタリア)、ハニア(ギリシャ)、サンクト・ペテルスブルグ、ブカレスト、東京で上演された。映像は、1994年にドイツ・ゲッティンゲンで行われた「第3回舞踏とジャズの祭典MAMU Festival」で上演した時のもの。タイトルはフランス語では「Papillon en Offrande」。岩名が子供の頃に出会った、戦争で夫を亡くして気がふれ、打掛を着て
遠藤が20数名のダンサー達と作り上げた作品。学校校長であった遠藤の父親が、焼けた校舎の跡に芽吹いたメタセコイアに勇気づけられ、絶望の淵から学校の再興を決意した体験から、自然が人間にとって如何に大切かをテーマに作品制作に取り組んだ。
反閇とは陰陽道に於いて出行や鎮めの際に行われた呪術である。後に神道や密教、さらには、有職故実の世界などにも流入した。宇野萬はここにヒントを得た。冒頭ではロープで身体を支え反重力のモチーフと思われ、男二人のシーンは口と尻をチューブで繋ぎ循環する管がモチーフ。後半の白い衣装のシーンは塩を撒き祓いのイメージが見られる。前作Hot Keyラストシーンの陰陽舞からさらに陰陽の世界を展開した作品といえる。
ゲッティンゲンで開催された第一回マム・フェスティバルの一環として行われた。フェスティバルは一貫して、「舞踏とフリージャズ」をテーマとして例年開催、舞踏家、ジャズミュージシャンを招聘した。本作は、遠藤と高瀬、沖による即興的なセッション。