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山本宣治-1907年カナダ留学。1911年帰国後、三高、帝大を経て、1920年京大・同志社大の講師となる。産児制限運動から労働運動に参加。1928年初の普通選挙で労農党より当選する。反動の嵐の中、治安維持法に反対し、神田の旅館で暗殺される。「山宣ひとり孤塁を守る。だが私は淋しくない。背後には大衆が支持しているから」。