福岡市中央区唐人町商店街内に拠点を置き、九州を中心に活動。時代劇からファミリーミュージカルと幅広く作品を展開。地元の歴史を掘り起こした時代劇、筑前亀門列伝・唐人歌舞伎シリーズは時代劇ファンのみならず、若い世代にも好評を得ている。また、博多の文化である「博多仁和加」を題材とした作品も手掛けている。その功績が認められ、「令和元年度 福岡市民文化活動功労賞」を受賞。また、学校の芸術鑑賞にも積極的に参加し、全国の学校にて巡回公演を行っている。
昭和18年、戦争の早期終結の為には、軍部独裁を強める東條内閣を打倒するほかないと考えた中野正剛。重臣会議により東條英機を退陣させようとするが、その工作は失敗に終わる。逆に造言飛語、倒閣疑惑により警察に拘留されてしまう。10月26日に釈放されたが、憲兵隊の監視付で自宅で監禁される。憲兵は中野正剛を脅迫、自白を強要し議員辞職を迫る。ペンを折られ、言論の自由を封じられ、監禁された中野正剛。しかし、彼には
江戸時代、福岡藩は東西二つの学問所を設立。朱子学派、徂徠学派と異なる学派の館長を擁し、互いに競わせようとした。東学問所の館長に任じられた竹田定良は学問所と修猷館「猷(みち)を修める為の学舎」と名付ける。礼と理を模範とする朱子学派の東学問所と、実践を尊ぶ徂徠学派の西学問所の競争は、思惑とは違い対立へと変わっていく。そんな中、寛政異学の禁により徂徠学派の西学問所は存続の危機に立たされる。竹田定良は「学