1945年8月9日、戸坂潤は獄死した。戦争が終わるわずか数日前のこと。時は遡ること13年前。「野蛮で反知性的なファシズムに対し、我々はあくまでも知性を武器にして闘い抜く」と、戸坂潤は岡邦雄、三枝博音と共に唯物論研究会を立ち上げた。しかし「危険思想を広める恐れがある」と特高警察の監視が始まり、やがて集会禁止から執筆禁止に。それでも彼の楽天性が奪われることはなかった。
社会部のスター記者として活躍していた大同新聞の飯島傑は、本人の希望で新たに政治部に配属されたばかり。後輩の佐々部の反対を押し切って官房長官の記者会見に出席し、記者クラブ幹事の制止もものともせず、疑惑への質問を繰り返す。その飯島に、なぜか官房長官から裏の懇談会への誘いが。その道は、夫の交通事故をきっかけに退社した、かつての同僚、柏木沙也加の辿った道でもあった…。政治家からのリークに群がる政治部記者た