「鳥取」が「島根」だったころ…。明治4年、明治政府は版(土地)籍(人民)奉還の具現化を目指し「廃藩置県」に踏み切った。藩は県と改められ、全国に3府302県が誕生、同時に鎌倉幕府開闢以来670年余に及んだ封建制社会は終わり、日本という「国家」を母体とした国造りが始まった。これは明治の奔流の中で、哀れなほどに奇形化していった鳥取の貧窮士族たちの物語である。藤田傳「日本土民考」シリーズ第3作。 “日本の
ある日、警察から手渡された一冊の黒焦げのノート。某山中でガソリンを被って焼身自殺した老人の、唯一の遺留品だという。そして自殺したその老人こそ、30年前、母と5歳になる自分を捨てて蒸発した“父”であった。ノートに残された焼け焦げの文字を手掛りに、父親の30年間の足取りを追う息子。浮かんでは消えていく幻影を追い、父と子の空白の時間は徐々に蘇っていく…。3話オムニバスの形式をとりながら、社会底辺の貧困と
忘れたくとも忘れられない記憶、忘れてはならないのに徐々に薄れゆく記憶——55年ぶりに再会した二人の老人。車椅子で対峙する二人の闇のような沈黙の中に、戦争の記憶が亡霊のように浮かび上がる。中国戦線、陸軍病院、上官命令、捕虜虐待及び虐殺…。戸井昌造の自伝的エッセイ『戦争案内』を原案として、藤田傳が照射した“日本”が忘れてはならない記憶。木偶人形を斬新に取り入れた演出で、戦争の無惨さを鮮烈に描いた舞台。
「處女評判善悪鏡」通称『白浪五人女』。幕末の退廃を反映した因果応報と救いようのない不条理を、流れるような七五調のセリフと浄瑠璃を組み込んだ音楽性豊かな様式美で描き出した"白浪作者"黙阿弥、円熟期の一作。責め場・強請場・愁嘆場、さらに女白浪ならではの色模様を組み込み、からませ、誇張し、洗練させたこの作品を、藤田傳とハチマルが我流の舞台化。歌舞伎という演劇のエネルギーとリアリズムに迫りながら、ハチマル