ある日、警察から手渡された一冊の黒焦げのノート。某山中でガソリンを被って焼身自殺した老人の、唯一の遺留品だという。そして自殺したその老人こそ、30年前、母と5歳になる自分を捨てて蒸発した“父”であった。ノートに残された焼け焦げの文字を手掛りに、父親の30年間の足取りを追う息子。浮かんでは消えていく幻影を追い、父と子の空白の時間は徐々に蘇っていく…。3話オムニバスの形式をとりながら、社会底辺の貧困と悲しみを描いた藤田傳の秀作。1988年初演、1994年の再演で第29回紀伊國屋演劇賞(個人賞=作・演出:藤田傳)受賞。
演劇博物館別館6号館3階「AVブース」にて視聴可能です。
「1980」と書いて「イチキュウハチマル」 、通称ハチマル。
横浜放送映画専門学校(創設者=今村昌平 現:日本映画大学)を母体とし、演劇科卒業生が創立メンバーとなって、文字通り1980年に結成。首都圏劇場での新作公演の他、演鑑公演・学校公演、ルーマニア・モルドヴァ・ブラジル・韓国等での海外公演を実施。また若手俳優陣を中心とする劇団アトリエでの実験的創作など、さまざまな形態で舞台作品を発表しながら、ハチマル的オリジナリティと演劇表現のさらなる可能性を追求し続けています。
30年前に蒸発した父親の足取りを追う息子。浮かんでは消えていく幻影を追い、父と子の空白の時間は徐々に蘇っていく…。藤田傳が第29回紀伊國屋演劇賞個人賞を受賞した秀作を、モルドヴァ演劇の旗手ウジェーヌ・イヨネスコ劇場芸術監督ペトル・ブトカレウが演出。長い間のソ連支配、独立後はヨーロッパ最貧国とも呼ばれたモルドヴァの視点から、藤田傳が描いた社会底辺の悲しみを極彩色の鮮烈さで描き出した舞台。
『大往生』は、永六輔が25年に亙り、全国津々浦々を旅する中で耳にした無名人、普通人、一般人たちの言葉の数々から「老い」「病い」「死」について、どこかで誰かが語った名言・箴言を選び出し、一冊の本にまとめあげた“言葉の書庫”である。本作品は、ある架空の養老院を舞台に、人生の熟達者たちのおしゃべり、つぶやきをちりばめながら、測ることのできない命の重さ、生きることの楽しさ、そして何より、人間が創り出した最
明治26年5月25日深夜、河内平野を血で染める事件が起こった。人呼んで「河内十人斬り」。ところがこれが音頭にのると「男持つなら熊太郎・弥五郎、十人殺して名を残す」の名調子。はたして二人は凶悪犯かヒーローか? 商店街の音頭一座がヒト山当てようと挑み始めた河内十人斬りの新解釈。三味線・太鼓にエレキギター、実演入りで河内音頭を再現しながら右往左往の珍解釈の果てにたどりつくのは…。藤田傳1990年書き下ろ
慶応3年、日本の民衆たちの間で突如巻き起こった「ええじゃないか」。この歴史的事件を元に映画監督・今村昌平が1981年に映画化。そのシナリオを原作として藤田傳が脚色。舞台は、猥雑な見世物小屋が立ち並び、はぐれ者や身売りされた娘たちが生きる江戸 “向う両国”。悪所とも言えるこの一帯に、自由を求めて群がる人間たち。そのエネルギーを利用して維新推進を企てる倒幕派の策謀。人間が人間臭くうごめき、からみあう群