忘れたくとも忘れられない記憶、忘れてはならないのに徐々に薄れゆく記憶——55年ぶりに再会した二人の老人。車椅子で対峙する二人の闇のような沈黙の中に、戦争の記憶が亡霊のように浮かび上がる。中国戦線、陸軍病院、上官命令、捕虜虐待及び虐殺…。戸井昌造の自伝的エッセイ『戦争案内』を原案として、藤田傳が照射した“日本”が忘れてはならない記憶。木偶人形を斬新に取り入れた演出で、戦争の無惨さを鮮烈に描いた舞台。
演劇博物館別館6号館3階「AVブース」にて視聴可能です。
「1980」と書いて「イチキュウハチマル」 、通称ハチマル。
横浜放送映画専門学校(創設者=今村昌平 現:日本映画大学)を母体とし、演劇科卒業生が創立メンバーとなって、文字通り1980年に結成。首都圏劇場での新作公演の他、演鑑公演・学校公演、ルーマニア・モルドヴァ・ブラジル・韓国等での海外公演を実施。また若手俳優陣を中心とする劇団アトリエでの実験的創作など、さまざまな形態で舞台作品を発表しながら、ハチマル的オリジナリティと演劇表現のさらなる可能性を追求し続けています。
慶応3年、日本の民衆たちの間で突如巻き起こった「ええじゃないか」。この歴史的事件を元に映画監督・今村昌平が1981年に映画化。そのシナリオを原作として藤田傳が脚色。舞台は、猥雑な見世物小屋が立ち並び、はぐれ者や身売りされた娘たちが生きる江戸 “向う両国”。悪所とも言えるこの一帯に、自由を求めて群がる人間たち。そのエネルギーを利用して維新推進を企てる倒幕派の策謀。人間が人間臭くうごめき、からみあう群
30年前に蒸発した父親の足取りを追う息子。浮かんでは消えていく幻影を追い、父と子の空白の時間は徐々に蘇っていく…。藤田傳が第29回紀伊國屋演劇賞個人賞を受賞した秀作を、モルドヴァ演劇の旗手ウジェーヌ・イヨネスコ劇場芸術監督ペトル・ブトカレウが演出。長い間のソ連支配、独立後はヨーロッパ最貧国とも呼ばれたモルドヴァの視点から、藤田傳が描いた社会底辺の悲しみを極彩色の鮮烈さで描き出した舞台。
時はバブルの真っ只中。本州と四国を結ぶ夢の懸け橋の工事現場で一人の出稼ぎ人夫が地上36メートルから転落死。死んだ人夫はお骨となって故郷に帰る。家族が集い成仏回向。ところがそこへのこのこ戻って来たのがお骨の主、石之澤鶴松。一同愕然!本人仰天!――骨壺の中身が俺ならば、生きてる俺は一体誰だ!?劇作家・藤田傳が、超巨大架橋建設の隅っこをしこたまえぐり出し、奇妙キテレツな“タライ回し”の物語を描いた現代寓
「鳥取」が「島根」だったころ…。明治4年、明治政府は版(土地)籍(人民)奉還の具現化を目指し「廃藩置県」に踏み切った。藩は県と改められ、全国に3府302県が誕生、同時に鎌倉幕府開闢以来670年余に及んだ封建制社会は終わり、日本という「国家」を母体とした国造りが始まった。これは明治の奔流の中で、哀れなほどに奇形化していった鳥取の貧窮士族たちの物語である。藤田傳「日本土民考」シリーズ第3作。 “日本の