忘れたくとも忘れられない記憶、忘れてはならないのに徐々に薄れゆく記憶——55年ぶりに再会した二人の老人。車椅子で対峙する二人の闇のような沈黙の中に、戦争の記憶が亡霊のように浮かび上がる。中国戦線、陸軍病院、上官命令、捕虜虐待及び虐殺…。戸井昌造の自伝的エッセイ『戦争案内』を原案として、藤田傳が照射した“日本”が忘れてはならない記憶。木偶人形を斬新に取り入れた演出で、戦争の無惨さを鮮烈に描いた舞台。
演劇博物館別館6号館3階「AVブース」にて視聴可能です。
「1980」と書いて「イチキュウハチマル」 、通称ハチマル。
横浜放送映画専門学校(創設者=今村昌平 現:日本映画大学)を母体とし、演劇科卒業生が創立メンバーとなって、文字通り1980年に結成。首都圏劇場での新作公演の他、演鑑公演・学校公演、ルーマニア・モルドヴァ・ブラジル・韓国等での海外公演を実施。また若手俳優陣を中心とする劇団アトリエでの実験的創作など、さまざまな形態で舞台作品を発表しながら、ハチマル的オリジナリティと演劇表現のさらなる可能性を追求し続けています。
「處女評判善悪鏡」通称『白浪五人女』。幕末の退廃を反映した因果応報と救いようのない不条理を、流れるような七五調のセリフと浄瑠璃を組み込んだ音楽性豊かな様式美で描き出した"白浪作者"黙阿弥、円熟期の一作。責め場・強請場・愁嘆場、さらに女白浪ならではの色模様を組み込み、からませ、誇張し、洗練させたこの作品を、藤田傳とハチマルが我流の舞台化。歌舞伎という演劇のエネルギーとリアリズムに迫りながら、ハチマル
北海道の日本海に面した人口僅か318人、78世帯の寒村“男冬”。三方を断崖絶壁に囲まれ、隣町とは船で1時間15分、しかも夏場の2か月間だけ。この陸の孤島“男冬”が、戦後民主主義の混乱の中、GHQの命令で「独立した村として、村会議員5人を選ぶ」ハメになったのである。その後戦後復興、高度成長へと進むニッポンから忘れ去られた男冬村がたどった運命は? 辺境地の視点から日本を見据えた藤田傳の「ツイテナイ日本
俳優・左卜全――懐かしの名バイプレイヤー。本作『ボクゼン』は、映画「どん底」で“嘉平”(=巡礼ルカ)を演じた左卜全の壮絶な俳優作業に思いを巡らせながら、一人の俳優とその妻が全身全霊で挑んだ「虚」と「実」のドラマを描くものです。映画「どん底」の重量感溢れるシーンをベースに、俳優・ボクゼンの激烈な内面が「虚実」の組み木となって立ち上がってゆきます。
昭和49年11月、大分県・別府国際観光港第三埠頭フェリー岸壁から、家族4人を乗せた車が海中に転落。母親と2人の子供は車内に閉じ込められたまま水死、男だけが真っ黒い波間にむっくりと浮かびあがった――別府・三億円保険金殺人事件はこうして始まり、そして「荒木虎美」の名前は、九州一のワルとして日本中の注目を集めていく。『虎美』は、藤田傳が事件発生直後から追い続けたこの事件の最終稿として、ひとつの犯罪をめぐ
