閉じていること。だからスペースが生まれる。開かれる。ドラマはそこから生まれる。これは作品の作り方の話でもある。といっても、いつもそういう作り方をしているのだけど。今回が特別なのではない。しかし、今回はあえて、閉じている、という事を強調しておく。僕たち自身も閉じていた。そこに意味があったのだと思う。これからは変わってもいいかもしれない。開かれたカンパニー?ダンス?に。ハードコアダンスってとっつきづら
「君が長く深淵を覗き込むならば、深淵もまた君を覗き込む」フリードリヒ・ニーチェ『善悪の彼岸』より足元を覆いつくすアスファルトのように、深淵は僕たちの日常に寄り添っている。足元に砕け散ったフロントガラスの破片のように僕たちの身体は今ここに放り出されている。深淵に映り込む影が、僕たち自身の姿であり、身体そのものであるのなら、明晰とは、ただそこから逃れることなく、ただここにあることを、ただひたすら見つめ
生きづらさを感じるあなたたちへ。身体、社会、日本をえぐる。2008年、日本中を震撼させた秋葉原連続殺傷事件に触発され、「身体、社会、日本」をテーマに取り組んだ2008年作品。作品の上演に先立ち、フリーペーパーを刊行、身体を見失った現代の日本人に届けようとする試みをおこなった。ごみが散乱した舞台上にさらされた14人の男女の身体、伊東篤宏とHIKOによる生演奏、今ここに在る身体を直截的に描き切った作品