イサドラ・ダンカンやトルストイの孫娘との結婚など、派手な人間関係を持ったロシアの詩人セルゲイ・A・エセーニンは‟最後の田園詩人”として自然を詠い、農婦を聖母マリアに比した。自らを「何かから離れる詩人」とみなした束縛を恐れ放浪する天性。そのラストメッセージから『人生は一場の笑、生が偉大なものでないのに、死だけが偉大であり得ようはずがない』と意を汲み、登場人物を道化としてエセ―ニンに対比させている。
日本の舞踊では、舞・振・踊りと三本の柱にたとえられる分極がある。「ふり」は、その振を本来の意味のダイナミズムに開放したいものとしてつけられた公演名。服部公一作曲の本公演オリジナル曲を含んだ楽曲を手塚幸紀指揮のオルケストル・ソノーㇽ(録音素材)、美術を当時新進気鋭のジェームス・川田が担当。ダンサーは女性10名、男性12名で、衣装はシンプルなレオタード、タイツであった。