江戸三味線音楽の変遷
江戸三味線音楽の変遷
幕府が開かれた後の江戸の三味線音楽がどのような変遷を辿ったのか
宝暦元年(1751)から寛政12年(1800)まで
河東節では上調子が発達し、長唄が盛んになり、常磐津も流行します。
新内も盛り上がりを見せて、音楽の花が咲き出します。
構成 お話 竹内道敬
河東節「助六由縁江戸桜」(1761年)
演奏 河東節十寸見会女流連中
新内「明烏夢泡雪 浦里雪責の段」(1772年)
浄瑠璃 新内剛士
三味線 新内仲三郎
上調子 新内勝志壽
長唄「隈取安宅松」(1769年)
唄 杵屋巳津也、杵屋巳之助、今藤龍之右、杵屋長寿郎
三味線 杵屋巳太郎、今藤政十郎、柏要二郎
上調子 杵屋六治郎
囃子 望月晴美、堅田喜三代、梅屋右妃/梅屋 巴/鳳聲千晴
演劇博物館別館6号館3階「AVブース」にて視聴可能です。
日本製鉄文化財団は、紀尾井ホールを拠点に音楽分野(洋楽および邦楽)における音楽家の育成、演奏会等の開催、優れた音楽活動に対する支援を目的として1994年に設立されました。クラシックコンサートホール(紀尾井ホール800席)、日本の伝統音楽専用ホール(紀尾井小ホール250席)において、当財団はホール専属のオーケストラである紀尾井ホール室内管弦楽団の運営を始め、クラシック音楽、日本の伝統音楽公演の企画・制作等を行っています。これらを通じて我が国の音楽文化のさらなる発展に寄与することを目指しています。
音楽でつづる文学
鎌倉時代に成立し、平家の栄華と没落を描いた軍記物語「平家物語」は、後世の芸術にも様々な影響を与えました。巻7≪竹生島詣≫の主人公は、清盛公の甥の平経正です。彼は詩歌・管弦にたけた風流人で琵琶の名手。木曽義仲討伐のために北陸へ向かうに際し、琵琶湖上の竹生島で戦勝祈願を行います。経正の素晴らしい琵琶の音に白竜も現れるという、つかの間のお話です。
江戸三味線音楽の変遷
幕府が開かれた後の江戸の三味線音楽がどのような変遷を辿ったのか享和元年(1801)から文政8年(1825)まで一中節が流行。地方の名物を取り込んだ曲や、江戸文化のすべてにおいて吉原から流行が生まれていきました。お話 竹内道敬一中節「安宅勧進帳」(1804年) 浄瑠璃 菅野序恵美、菅野序芙美、菅野序春 三味線 菅野序枝、菅野序美久長唄「越後獅子」(1811年) 唄 杵屋利光、東音味見
邦楽 華麗なる技
邦楽の「技」と通じてその楽しさを堪能するシリーズ。繊細で華やかでありながら力強い箏が織りなす豊かな響きをお楽しみください。鼎談 野川美穂子、萩岡松韻、米川敏子「桜狩」 歌・箏 萩岡松韻、萩岡未貴 歌・三絃 鳥居名美野「八重衣」 歌・箏 米川敏子 歌・三絃 米川文子
江戸三味線音楽の変遷
幕府が開かれた後の江戸の三味線音楽がどのような変遷を辿ったのか文政9年(1826)から嘉永3年(1850)まで能楽趣味が流行、天保の改革で天保13年(1842)に劇場以外での三味線の演奏が禁じられるも、長唄全盛時代へ。お話 竹内道敬常磐津「年増」(1839年) 浄瑠璃 常磐津兼豊、常磐津嘉代、常磐津文字満咲 三味線 常磐津文字東久、常磐津孝野清元「女車引」(1848年) 浄瑠璃 清元延