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江戸三味線音楽の変遷
幕府が開かれた後の江戸の三味線音楽がどのような変遷を辿ったのか宝暦元年(1751)から寛政12年(1800)まで河東節では上調子が発達し、長唄が盛んになり、常磐津も流行します。新内も盛り上がりを見せて、音楽の花が咲き出します。構成 お話 竹内道敬河東節「助六由縁江戸桜」(1761年) 演奏 河東節十寸見会女流連中新内「明烏夢泡雪 浦里雪責の段」(1772年) 浄瑠璃 新内剛士 三味線
江戸三味線音楽の変遷
三味線音楽が花開いた江戸時代で、同時代の音楽シーンはどのような状況だったのでしょうか。江戸の社会が50年ほどで変化している状況と音楽を重ねた新しい江戸三味線音楽史が始まります。慶安4年(1651)から元禄13年(1700)までこの間には明暦の大火(1657)があり、江戸の年は一変しました。新吉原が誕生し、音楽では半太夫節と外記節と大薩摩があったと推定されます。お話 竹内道敬半太夫(河東節)「きぬた
江戸音楽の巨匠たち~その人生と名曲
今日の私たちに伝えられてきている「江戸音楽」を、その時代にあって創り、育んだ巨匠たちに焦点を当てたシリーズ。第3回は江戸浄瑠璃の誕生 初世十寸見河東 四世十寸見河東 山彦源四郎 対談 竹内道敬、渡辺保「海老」 浄瑠璃 山彦音枝子 三味線 山彦千子「松の内」 浄瑠璃 山彦節子、山彦久江、山彦音枝子、山彦敦子 三味線 山彦良波、山彦登 上調子 山彦千子「助六」 河東節十寸見会