江戸三味線音楽の変遷
江戸三味線音楽の変遷
幕府が開かれた後の江戸の三味線音楽がどのような変遷を辿ったのか
文政9年(1826)から嘉永3年(1850)まで
能楽趣味が流行、天保の改革で天保13年(1842)に劇場以外での三味線の演奏が禁じられるも、長唄全盛時代へ。
お話 竹内道敬
常磐津「年増」(1839年)
浄瑠璃 常磐津兼豊、常磐津嘉代、常磐津文字満咲
三味線 常磐津文字東久、常磐津孝野
清元「女車引」(1848年)
浄瑠璃 清元延初磨、清元延明寿、清元延清恵
三味線 清元紫葉、清元梅弓
上調子 清元延祐幸
蔭囃子 堅田新十郎連中
長唄「勧進帳」(1840年)
唄 杵屋勝四郎、杵屋巳津也、杵屋巳之助、杵屋佐喜、今藤政貴
三味線 杵屋巳太郎、杵屋六治郎、東音高橋智久、柏要二郎
上調子 松永忠一郎
囃子 堅田新十郎連中
演劇博物館別館6号館3階「AVブース」にて視聴可能です。
日本製鉄文化財団は、日本製鉄紀尾井ホールを拠点に音楽分野(洋楽および邦楽)における音楽家の育成、演奏会等の開催、優れた音楽活動に対する支援を目的として1994年に設立されました。クラシックコンサートホール(紀尾井ホール800席)、日本の伝統音楽専用ホール(紀尾井小ホール250席)において、当財団はホール専属のオーケストラである紀尾井ホール室内管弦楽団の運営を始め、クラシック音楽、日本の伝統音楽公演の企画・制作等を行っています。これらを通じて我が国の音楽文化のさらなる発展に寄与することを目指しています。
江戸三味線音楽の変遷
幕府が開かれた後の江戸の三味線音楽がどのような変遷を辿ったのか元禄14年(1701)から寛延3年(1750)まで元禄というバブルが始まり、やがて下火になって享保の改革(1723頃)で政治の立て直しが図られました。音楽では初代都一中が下り、河東節が始まり、江戸長唄が生まれ、常磐津が誕生しました。上方では「曽根崎心中」が初演されましたが、心中狂言の上演禁止になりました。お話 竹内道敬一中節「お夏笠物狂
音楽でつづる文学
「祇園精舎の鐘の声……」という冒頭で知られる鎌倉時代に成立した平家の栄華と没落を描いた軍記物語「平家物語」は、琵琶法師によって津々浦々と音に乗せて語られました。後世の芸術にも様々な影響を与え、数多くの名曲が生まれました。「高倉天皇と小督」では、後白河天皇第7皇子として8歳で即位し、21歳の若さで亡くなった高倉天皇と、その寵姫となる美貌で箏の名手、小督との悲恋が題材となった曲をお楽しみいただきます。
江戸音楽の巨匠たち~その人生と名曲
今日の私たちに伝えられてきている「江戸音楽」を、その時代にあって創り、育んだ巨匠たちに焦点を当てたシリーズ。第7回は暗殺された奇才 清元成立の背景 初世清元延寿太夫対談 竹内道敬、渡辺保「柏の若葉(寿祝柏若葉)」 浄瑠璃 清元若葉、清元延勇輝、清元延栄一 三味線 清元延秀佳、清元延八寿美 上調子 清元延栄勇美「保名(深山桜及兼樹振)」 浄瑠璃 清元清寿太夫、清元志寿子太夫、清元清美
当代の至芸を、芸談と演奏で余すところなく存分に堪能する「きく会」常磐津節浄瑠璃の最高峰である一巴太夫が自ら選曲した渾身のリサイタルであり、相方を三味線の第一人者 英寿が勤めます。両名人が揃う二度と組めない名舞台。対談 常磐津一巴太夫、竹内道敬「三世相錦繍文章」道行蝶吹雪 ~州崎堤の段~ 浄瑠璃 常磐津一巴太夫、常磐津巴瑠幸太夫、
