紀尾井たっぷり名曲 長唄
紀尾井たっぷり名曲 長唄
人々を魅了し続けてきた傑作に注目。長唄「勧進帳」は、能『安宅』をもとに歌舞伎化され、舞踊としても音楽としても人気が高い作品です。当代きっての名人で長唄三味線・人間国宝の杵屋勝国と、歌舞伎の第一線で活躍する唄方・杵屋勝四郎が大曲を務めます。お話は児玉竜一・早稲田大学文学学術院教授です。
演劇博物館別館6号館3階「AVブース」にて視聴可能です。
教育機関向け舞台芸術映像配信サービス「みるステ」
教育目的でのご利用に限り視聴可能です。
無料トライアル期間:2026年4月1日〜2027年3月31日
2027/3/31まで
日本製鉄文化財団は、日本製鉄紀尾井ホールを拠点に音楽分野(洋楽および邦楽)における音楽家の育成、演奏会等の開催、優れた音楽活動に対する支援を目的として1994年に設立されました。クラシックコンサートホール(紀尾井ホール800席)、日本の伝統音楽専用ホール(紀尾井小ホール250席)において、当財団はホール専属のオーケストラである紀尾井ホール室内管弦楽団の運営を始め、クラシック音楽、日本の伝統音楽公演の企画・制作等を行っています。これらを通じて我が国の音楽文化のさらなる発展に寄与することを目指しています。
江戸三味線音楽の変遷
幕府が開かれた後の江戸の三味線音楽がどのような変遷を辿ったのか元禄14年(1701)から寛延3年(1750)まで元禄というバブルが始まり、やがて下火になって享保の改革(1723頃)で政治の立て直しが図られました。音楽では初代都一中が下り、河東節が始まり、江戸長唄が生まれ、常磐津が誕生しました。上方では「曽根崎心中」が初演されましたが、心中狂言の上演禁止になりました。お話 竹内道敬一中節「お夏笠物狂
江戸三味線音楽の変遷
三味線音楽が花開いた江戸時代で、同時代の音楽シーンはどのような状況だったのでしょうか。江戸の社会が50年ほどで変化している状況と音楽を重ねた新しい江戸三味線音楽史が始まります。慶安4年(1651)から元禄13年(1700)までこの間には明暦の大火(1657)があり、江戸の年は一変しました。新吉原が誕生し、音楽では半太夫節と外記節と大薩摩があったと推定されます。お話 竹内道敬半太夫(河東節)「きぬた
江戸三味線音楽の変遷
幕府が開かれた後の江戸の三味線音楽がどのような変遷を辿ったのか文久3年(1863)から明治8年(1875)まで開国を契機に西洋音楽が流入してきますが、一部の音楽を除いて三味線音楽に影響はまだ及びません。お話 竹内道敬清元「貸浴衣汗雷(夕立)」(1865年) 浄瑠璃 清元梅寿太夫、清元清美太夫、清元成美太夫 三味線 清元菊輔、清元美三郎 上調子 清元美十郎義太夫「壺坂観音霊験記 壺坂寺の
江戸音楽の巨匠たち~その人生と名曲
今日の私たちに伝えられてきている「江戸音楽」を、その時代にあって創り、育んだ巨匠たちに焦点を当てたシリーズ。第6回は新内節の祖と中興の祖 敦賀若狭掾 富士松魯中対談 竹内道敬、徳丸吉彦「明烏夢泡雪」 浄瑠璃 新内剛士 三味線 新内勝一朗 上調子 鶴賀㐂代寿郎「不断桜下総土産」(佐倉宗吾郎) 浄瑠璃 鶴賀若狭掾 三味線 新内仲三郎 上調子 鶴賀伊勢一郎
