先日、行きつけの店の店長さんに散髪してもらっていた時、髪を「切る」に対し過不足なく「切って」いて、そうかと思い当たったことがありました。張り切るでも慣れるでも緩むでも表現するでも好き嫌いもなく、ある動詞を過不足なく体現することは実際とても難しい。日々同じ動詞に向き合う中で、飽きず過不足ない状態に辿り着くことについて、考えるところがありました。
以前ジャズピアニストが、究極のドミソが弾けたらと話していました。また知り合いのデザイナーが、一の字一つで勝負するようなデザインは、まだ自分には早いと話しているのを聞きました。削ぎ落としたい願望は、いつも個人作業の頓知問答です。あるいはシンプルにという思考を通らずに、ある時ぽかんと到達するのかもしれない。
「見立て」について考えることは、過不足のなさを考えることと似ている気がします。見立てることは、削ること捨てることのようで逆に、物事から本質を見つける作業かもしれません。「見立て」で、世界を俯瞰してみたい。
演劇博物館別館6号館3階「AVブース」にて視聴可能です。
1913年に創建された倉庫をリノベーションした文化施設。コンセプトは「芸術文化の創造発信」と「賑わいの創出」。コンテンポラリーダンスやアートを柱に、新進アーティストを世界に発信している。フレキシブルな機能を持つホールとギャラリースペースを有し、ダンス等舞台芸術公演や展覧会、屋外広場でのイベント等を通じて横浜の文化と観光のハブ機能を担う。
AFTER RUSTは「錆の次には何が起こるのか?」という疑問をベースとしたソロ作品。人間の身体と精神両面での錆に着目し、物質が錆びた後には何が起こるのかを探求した作品です。クリエーションを行った昨年はちょうど30歳を迎えた節目の年でした。この数年ダンサーとしての仕事よりも振付や教える仕事が増え自分自身に集中できる時間が減り、徐々に体が錆びて劣化していくような感覚を感じていました。この錆と向き合い
親や周囲の人々から愛やケアを、無条件に与えられ続ける立場としての子供から、「成長すること」は、誰かにケアを与えるという表現の経験からくるだろう。その成長の過渡期にある息子の不安は、経済、能力、環境の不安定さから生まれるというよりも、むしろもっと根本的な意味においては、受けたいケアと与えたいケアの種類や配分が分からず、自身のケアのバランスを見失うことで生まれているのではないだろうか。アンバランスな愛
[作品ノート]2つで1つとしてしまう とても幸せな諦めと 1つを2つにしてしまう へそまがりな微笑みの一人称デュエット。デュエットのカタチを試行する。
作品ノート二人のダンサーとミュージシャン。それぞれのやり方で同じ時間を刻む。それは、身体と声と音と空間で戯れながら積み上げる時間のタワー
