宝永の富士山大爆発で田畑を失った山麓地方の農民を救おうと、文字通り一一身を賭した関東郡代の伊奈半左エ門を描いた、新田次郎原作の舞台化。「現代が求める人物」と原作者の言う伊奈半左エ門と、富士噴火の罹災農民の若者たちの運命を描いた、壮大な歴史劇。
演劇博物館別館6号館3階「AVブース」にて視聴可能です。
昭和6年(1931)、若き歌舞伎俳優たちによって創立され、2022年で91周年を迎えた。戦前戦後の時代から現在まで、都市大劇場から各地小中学校体育館に到るまで演劇普及に邁進。歌舞伎をレパートリーに持つ貴重な劇団として知られる。
歌舞伎十八番の内
平家を滅ぼし、大功を立てた源義経は兄頼朝の勘気を受け追われる身となる。舞台は奥州の加賀国、安宅の関所。関守は英知優れる富樫左衛門である。関所の役人らの目をくらますため、家来の弁慶と四天王は山伏の姿となり、主君の義経は強力(荷物持ち)に身をやつした。が、一行は呼び止められ、山伏ならば、勧進帳(東大寺再建のための)を持っているはず、読み上げよと命じられる。何とかその場を繕わねばと、弁慶は持ち合わせの巻
『平家物語』の一部に取材した近松門左衛門の作品。前進座と言えば『俊寛』であり創立60周年を迎えた前進座が満を持して『俊寛』の原点であるこの作品の通し上演となった。平清盛、常盤御前、牛若丸、俊寛らの運命を描いた舞台。
京では、四条河原の念仏踊り、出雲の阿国一座が豊臣秀吉の愛妾淀君の花見の宴に招かれるほどの人気誇っていた。がある日、百姓は故郷へ帰れとの命が下る。何とか京で、支援者のお抱えとなり人返し令から逃れた一座だが、河原の小屋で人々の前で踊ることを喜びとする阿国と、貴人や富豪の引き立てを願う三九郎との心の隔たりは広がるのだった・・
平安時代末、父の遺言により仏門に入った少年(後の法然上人)は夜襲にあって討死した父の遺言を受け仏門に入る。比叡山黒谷にこもり悟りを開き、山を下りて、一切の差別を排し、身分や老若男女の区別なく、乱世に生きる人々に仏の教えを説く。やがて範宴(後の親鸞)と出会い、ともに迫害に合って流罪になりながらも様々な出会いの中で念仏を広めていく。