「LOWという高み」
LOWとは、輝ける最高の頂の遥か天空を
飛翔し続ける鶏の名前である。
LOWというコトバを支えるいっさいの価値、
いっさいの物語を超え出うるとは
およそ、地上から追いやられた生き物の目の低さで
私を見いだすことに他ならない。
演劇博物館別館6号館3階「AVブース」にて視聴可能です。
1989年結成以来、「現在に機能しうる表現」を模索し続ける彼らは、公演、ワークショップ、レクチャー、等の活動を通じて、ダンスという枠組みを越えた様々な表現の現場において影響を与え、また支持されている。なかでも11都市、25回に及ぶ海外公演は、最も説得力を持つ行動として評価されている。時間と場所、人間のリアルな営みを求め、' 91年より3年続けて挑んだ、ギリシャにおける巨大な野外劇場での公演は、それぞれが「ソリスト」でなければ空間を共有できないという、「個」としての存在意識を彼らにもたらした。
第一部静寂な夜の部屋。しかしここはどこなのだろう。整然とした散乱があたりを支配している。略奪? 偽装現場か? 見えない塵がうず高く積もって層を成し、その一部がこちらを向いている。一人また一人と登場人物は何かを抱え踊り始める。頻繁に上体が折られ、足の間や膝下に手が行き交う。次第にダンスは自身を曝出し、虚ろな地上を撃つ強さでほとばしる。第二部冒頭ソロが始まる。デュオからトリオ、さらに展開していくシー
書かれた顔、映された瞳、記述された掌、まだ来てない時の人影が現れた。彼らの予感と共に、桟橋自身が深く考える。絶滅した生き物の群が、予見と不可視の窓を現し、希望や夢、光をこぼしていった。ガスになってしまった眼が我々を見つめている。書かれなかった顔、映されなかった瞳が書物に印される。我々はどこにも行く当てが無い。ただ待ち合い室で海鳴りの響きを聞く。背中をかがめて闇にうずくまり、真紅の果実、そこに向って
地上を あとに 水を 纏いに 行く。 人を 脱ぎ 新しい 喪の ドア。机 上に 盲 目の 自己家畜化家達。 ソックスを脱いで わたしの 身がわりを 飲みに行く。座るのはまだ早い。