白石加代子「百物語」第十八夜
白石加代子「百物語」第十八夜
第十七夜、第十八夜は続けての上演で、その5本の作品はほとんど同時に稽古をした。
そして一番時間を割いたのは「累」である。
前に「江島屋」をやった時も痛感したのだが、円朝の作品と言うのは、声に出して初めて、文章のうまさ、話の運びの見事さ、人物のリアルさが見えてくる。幽霊は弱った神経が作り出すものという文明開化の時代の怪談話、そして真景、つまりリアリズムを基調とした怪談を円朝は目指したのだが、そういう意味では今の時代から見ても、実にリアルである。
はっきりいって今のテレビドラマなどよりずっとリアルだ。「累」の中でいくつかの殺人が起きるが、殺人犯は一人もいない。ちょっとした行き違いや誤解が錯綜して、アクシデントを起こしてしまう。それはどんな人間も持っている弱さである。
リアルな怪談、そういう意味で円朝を超える作品は未だにないといってもいいのではないだろうか。
「関節話法」は数多くの筒井作品の中でも、出色である。「わたし嫌ですよ、この作品だけは嫌。だって読むだけでもう笑っちゃって先に行かないんだもの。どうかこれをやらせないで。それにこの作品、全然自信がありません。『五郎八』の場合はまだ少しは自信というか、何とかその作品に立ち向かう勇気と言うか、そういうのがあったの。でも、これは嫌。どうしたらいいかわからない。やる前からギブアップ、ほんともう勘弁してよ」という加代子さんの強烈な抵抗から始まったが、何故か、鴨下さんはこの作品の稽古はそれほど熱心ではない。
「『累』の稽古ばっかり。そりゃ『累』は大変な作品で稽古は一杯しないといけないのはわかります。でも『関節話法』だってやっていただかないとわたし出来ません」
そうこうしているうちに本番に突入。
結局は大受けでしたけれど。
第十七夜、第十八夜はかなり長い期間の全国ツアーを行った。
そしてこの百物語シリーズは、恐い話という枠を超えて、新しいエンターテインメントとして多くのお客さんに認知されたように思う。
(百物語シリーズ総集編パンフレットより転載)
演劇博物館別館6号館3階「AVブース」にて視聴可能です。
1990年設立。主な作品に、大竹しのぶ「奇跡の人」、古田新太・生瀬勝久「ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ」、西城秀樹・鳳蘭・市村正親「ラヴ」、天海祐希「ピエタ」などがあげられる。(メジャーリーグHPより)
輝かしい命を持った13歳が自らの手でその命を絶った。誰もがその事件の当事者である。空を飛ぶ翼を、銃弾で撃ち抜かれ、二度と飛べなくなったノガモとは、夢見る力を、現実という銃弾で粉々にされしまった人間のことである。それでも彼らは生き続ける。人間を見に来て欲しい。人間ほど面白いものはないのだから。
シェイクスピア・ゼミの8人がゼミの旅行でイギリスのお城に出かけ、そこにある古い屋外劇場で「リア王」の芝居をやろうとする。シェイクスピアの言葉は我々をどこに連れていくのか。8人の旅行者はいつのまにか、人間の心が嵐のように渦巻いているシェイクスピアの世界を旅し始めている。人間の想像力がたどり着いた淵といわれる「リア王」の世界を、8人の俳優とともに探検し、体験する・・・。
白石加代子「百物語」第二十二夜
筒井康隆「時代小説」は前からやりたかったものである。筒井さんにその旨を申し上げると、「え!ほんとうにやるの?」といった反応だった。つまり「読んでも、お客さんには何の事かさっぱりわからないからやめたほうがいい」とお考えだったのだ。そして実際稽古に入って、これは鴨下信一でないと出来ないものであったと思い知らされた。鴨下はこう語っている。「『時代小説』、これは日本語のリズムで聞くべきものだ。リズムは地口
不思議な一座が幻のように現われ、幻のように去っていく。何もない空間から始まり、何もない空間で終わる。しかしその舞台は見る人に強烈な印象を残した。女優がハムレットやホレイショーを演じ、ガートルードやオフィーリアを男優が演じた。しかしそれが何の違和感も残さず、よりくっきりと「ハムレット」の世界を映し出し、より明確にドラマの構造を浮き彫りにした。お芝居好きの人に是非観てほしいと思います。観たこともない「