(パンフレットより)
「しゃぼんのころ」
本作品は、前作の『たゆたう、もえる』までの試みとは、たぶん違ってきていて。たぶん、っていうのは、明確に、そう、とは言い切れないって意味で。今までを断ち切って、全く変わって、今に至るわけでもなくて。でも、違ってきているっていうのは、その変容していく様子を、今の自分たちの現場から、どうやら感じることができているからである。
変容していくっていう僕らの今と『しゃぼんのころ』。
『しゃぼんのころ』は中学生たちの三日間の話。
急速にココロとカラダを前進させてゆく中学生。
濃密な時間の中、あの頃の僕や、僕の周りの人たちは、どう変わってきたのか。あの人との距離はどうだったのかとか、なんでだろう、なんでだろう、と、やっぱり、今だって、思い出しの作業は果てしなく続いているのだけど、続いていくし、その作業の経過、それそのものが、作品であって、そこを、僕らも、今日ご来場いただいたみなさんも、通過、していくのだなぁ。と、確認もしつつ。2010年代の一年目。もう5月。コドモたちが学校に通ったりしている。相変わらず。
『しゃぼんのころ』に出てくる人物たちの、孵化していく感じ、これはちょっと、マームとジプシーがこれから変容してゆくための、第一歩目だと、僕は勝手ながら考えていて。紛れもなく、この物語は、これから、の話なんだと。
やっぱりでも、思い出しているのは、あの頃。風景が反転して白かったような、あの頃なんだ。なぁ。あぁ。
2010.5.16 藤田貴大
演劇博物館別館6号館3階「AVブース」にて視聴可能です。
藤田貴大が全作品の脚本と演出を務める演劇団体として2007年設立。2012年よりオリジナルの演劇作品と並行して、他ジャンルの作家との共作を発表。あらゆる形で作品を発表し、演劇界のみならず様々なジャンルの作家や観客より高い注目を受けている。
(パンフレットより)「コドモもももも、森んなか」昨晩は家で、ビールを飲んで、漫画を読んで、寝た。今朝はまた電車に乗って、銀杏の匂いが酷いなぁって思った。毎日を過ごす作業と、過去を思い出す作業、この先を考える作業。当たり前に日々繰り返す、その作業たちを、少し立ち止まって考え直してみた。舞台は、田舎の街。コドモしか出てきません。川があって、海に続き、駅があって、外に続く。僕が置き去りにしてきた街は、記
マームと誰かさん・ふたりめ
マームとジプシーを率いる藤田貴大が第56回岸田戯曲賞を受賞した直後、他ジャンルの作家との共作シリーズ「マームと誰かさん」を企画し、小さなギャラリーにて作品を発表。このシリーズはその後マームとジプシーに大きな影響を与えました。その第二弾は演出家・飴屋法水さんとのコラボレーション。
(パンフレットより)今日さんの絵の、淡い水色の先に存する、おおきな暗闇のようなものに魅せられてしまった、どうしたものか。どうすればこれを、ぼくの。マームとジプシーでの日々の作業に、融合させることができるか。ずいぶん、長いこと。彷徨っていたようにおもう。やがて遠くのほうから。或いは、どこか切れ間から。郁子さんの音が、まるで降ってきたように、聴こえてきた瞬間があった。こうして、つながって。この場所、ひ
「コドモも、モモも、森んなか」いつか、モモとゆう存在を、なくすのだとわかってはいたけれど、やっぱりなくしてしまって、そのことがやっぱりおおきかった。七月だった。モモが、なくなったのは。かんがえちゅうで、まだまとまらない。モモが、なくなってしまって、鳴らなくなった音があった。でもそれでも、物音がすると、モモじゃないかと振り向いてしまう。まだモモが、いるような気がして。音をさがす。そんな時間を、つくら