(パンフレットより)なんかわからないけど、ここ数年、たえまなく、この作品と向き合ってきた気がするけれど、なんでこの作業を選んできたかというのは、自分にとっても、まったくに不思議なことだ。でもどうしてだろう、なにがしたい?と問われると、あっこのはなし。と答えてきたのだった。それはなんでだろう、あんまりかんがえて答えていないようにもおもうけれど、でも直感として、この作業をしていなくてはいけない、と自分
(パンフレットより)一月に書いた文章を眺めている。あれから、なにを経て。どんな音を聞いて、どんな光景を目に映して。どんな時間を過ごしてここまで巡り、辿りついただろう。想像もしていなかったようなことは、やはり起こる。それに伴って、線なんか引かれていなかったところに線は引かれていく。内側と外側があるのだと知る。部屋のなかで窓より外の世界を想像するのがこんなにも不安なことだった、だなんて。しかし、やはり
(パンフレットより)じっさいにその作業をするのにかかる時間をつなぎあわせて、どういうヒカリを暗闇のなかにいれて、物事を、風景をみつめていたか、ということをあらためて取り組んでみてかんがえた。おそらく、みえているものすべてが本物ではないことは、幼いころからわかっていた。では、本物はどこにあるのだろうか。右眼を塞いで、左眼だけで遠くのほうをみつめながら、そんなことを想っていた。ぼやけた画面のなかに、本
(パンフレットより)生まれてきた奇跡のさきへつづく旅路。それは森であり、夜である。ただ歩いていくのは困難で、立ちはだかるものをまえに立ちつくす。見たくないもの、聞きたくないものに触れてしまう瞬間が、やがて誰しもに訪れる。ときに、どうしてこんな世界に生まれてきてしまったのだろう、とおもうかもしれない。けれども、生まれてこなければ出会えなかった。たまには立ちどまって、来た道をふりかえってくれていい。思
(パンフレットより)三年前にこの作品は一度、故郷の北海道伊達市で、終わりを迎えたはずだった。だけれどまたこうして取り組んでいるのは、この三年間で家という生命体そのものが、現在という時間のなかでどう在ればよいのか、という問題が自分のなかで、まるで変わってしまって、膨らみつづけていたからだろう。現在という時間は想像できているだろうか。あのころの食卓のこと。ひとりひとりの表情を。家という生命体の内臓は、
人気漫画家今日マチ子が、沖縄戦におけるひめゆり学徒隊に想を得て描いた傑作『cocoon』。マームとジプシーによって2013年に上演された舞台版は、演劇界を震撼させた。戦後70年にあたる2015年に再演された作品。
(パンフレットより)こんなにも嘘めいてしまった世界のなかで書を捨てよ町へ出ようという響きについて表現という、それ自体が許されない時代が現在。訪れるかもしれない気配がするのだもしかしたら、なんにもないかもしれない外側へ。内側のいろいろを置き去りにして町に点在する作品という名の場所と時間にどうしてそこにひとは辿りつくのだろうかそしてなぜそこに立ち止まろうとするのか所詮、そこはだれかがつくった場所と時間
(パンフレットより)自分のなかにある、ある場所に、いくつになっても褪せることなく、18までのあの風景が広がっていて、そこには名前のない自分が、名前のない誰かが立ち尽くしている。彼らはなにかに押しつぶされそうな表情をしているけれど、それでも限られた時間を、そしてあらかじめ決められたような空間を、全力で走っている。現在のぼくは、それはなぜなのか、知っている。でもあのころのぼくは、それがなんなのか、なに
世界的に評価される村上春樹の傑作長編『ねじまき鳥クロニクル』を、イスラエルの奇才 インバル・ピントと気鋭のアミール・クリガーの演出、アミールと演劇界の俊英 藤田貴大の脚本で舞台化し、音楽を大友良英が手掛けた創造性豊かな意欲作。2020年の初演時に、公演期間の短縮を余儀なくされた伝説のステージが待望の再演。
世界的に評価される村上春樹の傑作長編『ねじまき鳥クロニクル』を、イスラエルの奇才 インバル・ピントと気鋭のアミール・クリガーの演出、アミールと演劇界の俊英 藤田貴大の脚本で舞台化し、音楽を大友良英が手掛けた創造性豊かな意欲作。2020年の初演時に、公演期間の短縮を余儀なくされた伝説のステージが待望の再演。
(パンフレットより)「四月の始まりと、異邦人が終わったあとの、あ、ストレンジャー」三月も、もう終わります、(つまりこの文章は、三月も、もう終わるって頃、ぼおんと、磨りガラスの窓の向こう、朝日が登り始めた、っていうのを、布団の中で眺めながら、書いています、)もう少しで、四月が始まります、『あ、ストレンジャー』は、四月の始まりに始まって、四月の始まりに終わります、(布団を出ることにします、机の上で林檎
(パンフレットより)「マームとジプシー的、真夜中の考察と、季節の移り変わりとは無関係に、移行していく真夜中のイメージ。で、朝は訪れるのか、どうか、っていう。」というわけで、今回は、真夜中、という時間にだけに取り組んだ、でもしかし、果たして、この真夜中に、朝は訪れるのか。今夜もまた、夜が明けないまま、朝を迎えることになるのだろうか。僕は、これからも、終わることのない真夜中、を、行くのだろうか。また、
(パンフレットより)今日さんの絵の、淡い水色の先に存する、おおきな暗闇のようなものに魅せられてしまった、どうしたものか。どうすればこれを、ぼくの。マームとジプシーでの日々の作業に、融合させることができるか。ずいぶん、長いこと。彷徨っていたようにおもう。やがて遠くのほうから。或いは、どこか切れ間から。郁子さんの音が、まるで降ってきたように、聴こえてきた瞬間があった。こうして、つながって。この場所、ひ
(チラシより)いつだってずっと、もう何年も。どこか内側に在るシーンというシーンは、眼裏で目まぐるしくリフレインしている。最速のスピードを持って、脳内を駆けめぐる。あの季節の、あの湿度のなかを走りつづけている。もしくは、歩いている。校舎のなかを。休み時間、教室から教室へ。廊下を、歩いている。なんともない日々の眺め。しかし、その平穏さが一変する瞬間。いつのまにか忍びよっていた影に気づかずに、ある瞬間。
2013年に演劇作家・藤田貴大率いるマームとジプシーは、漫画家・今日マチ子「cocoon」を原作に、沖縄戦に動員される少女たちに着想を得て製作・発表した。2022年の再再演では東京公演が一部中止になるものの、全国9都市での上演を果たした。本作は、マームとジプシーがどのような思いで沖縄と向き合い、3度目の上演に取り組んだかを描く。製作過程や公演中止を判断した場面を中心に、今の時間を取り入れ描いた映像
(パンフレットより)「コドモもももも、森んなか」昨晩は家で、ビールを飲んで、漫画を読んで、寝た。今朝はまた電車に乗って、銀杏の匂いが酷いなぁって思った。毎日を過ごす作業と、過去を思い出す作業、この先を考える作業。当たり前に日々繰り返す、その作業たちを、少し立ち止まって考え直してみた。舞台は、田舎の街。コドモしか出てきません。川があって、海に続き、駅があって、外に続く。僕が置き去りにしてきた街は、記
(パンフレットより)頭がキリキリする、はあ、八月、も、もう中間付近、僕、相変わらず、作品、つくっている、そりゃあ、汗だくになりながら、つくりまくっている、つくって、疲れて、今日もアパート帰る、帰って、部屋で、腐りきっている、ちょっと腐って、復活して、また、頭の中で、また作品、つくる、翌朝、作品つくりに、家を出る、駆け足、で、稽古場、に、向かう、そんなループの中、に、僕はいて、つくるつくる、を、繰り
(パンフレットより)「しゃぼんのころ」本作品は、前作の『たゆたう、もえる』までの試みとは、たぶん違ってきていて。たぶん、っていうのは、明確に、そう、とは言い切れないって意味で。今までを断ち切って、全く変わって、今に至るわけでもなくて。でも、違ってきているっていうのは、その変容していく様子を、今の自分たちの現場から、どうやら感じることができているからである。変容していくっていう僕らの今と『しゃぼんの
(パンフレットより)「ほろほろ」今まで、たくさんの人と別れてきて、きっと、これからも、別れるだろうと、そう思って、この作品は出発した。記憶を巡ってみても、思い出すのは、断片的な、しかも、ぼやけて色褪せた、曖昧な風景で、そんな、脳内の、それに、フォーカスを合わせ、シャッタースピードも最速に上げて、記憶の一瞬を、捉えようと試みた。それが、どれだけビビットに映ったか、もしくは、もう、記憶は、ぼやけたまま
マームとジプシーが小説家・川上未映子とタッグを組み、川上の書き下ろしの詩を含む6作品を俳優・青柳いづみの一人芝居として上演。2014年3月から約2ヶ月をかけて全国8都市にて巡演。
2014年に小説家・川上未映子のテキストを用い、青柳いづみ出演で「まえのひ」を上演。その第2弾となる本作は、川上の詩集「先端で、さすわ さされるわ そらええわ」「水瓶」より、主に7篇の詩を使用して、6つの演劇を立ち上げた。各作品の衣装を6人のクリエイターやファッションブランドが担当。
「コドモも、モモも、森んなか」いつか、モモとゆう存在を、なくすのだとわかってはいたけれど、やっぱりなくしてしまって、そのことがやっぱりおおきかった。七月だった。モモが、なくなったのは。かんがえちゅうで、まだまとまらない。モモが、なくなってしまって、鳴らなくなった音があった。でもそれでも、物音がすると、モモじゃないかと振り向いてしまう。まだモモが、いるような気がして。音をさがす。そんな時間を、つくら
(パンフレットより)おもえば、いつだって夜だった、たとえ朝がやってきたとしても、それは時間がそうさせているだけであって、夜であることに変わりはなかった。たまに笑ったのだとしても、それは夜に笑ったにすぎない。そうだ、夜だった、と我にかえって表情を失くすのだった。さいきん、ますます夜は暗闇を増すばかり、どうしたらこの暗闇から抜けることができるだろうか、なんてかんがえるだけ無駄かもしれない、もはや。だけ
(チラシより)どこからともなく届く光は、自然から成されたものではないことは解っていた。いつかの誰かが、誰かへ向けて発した光だった。ある人は、その光を見て見ぬふりをした。ある人は、その光自体を無いことにしようとした。しかしわたしには届いていた。届いたからにはわたしからも光を送りたくなった。届く光に微かな瞬きを感じた。光が在るということは、その傍には誰かがいるはず。光の合図は確実にここまで届いている。
(チラシより)26歳のときに書いた作品を、リユースして再構築してみようとおもうのだが、これに至るまではいろいろあった。マームとジプシーのこの三年間は、自分たちの過去に発表した作品をある意味、否定していく作業でもあった。とめどなく湧きでてくる、興味と。どうしようもなく拡大されていく、規模。どんどんと速くなっていく、スピード。取り巻くぜんぶのことにアプローチしていくときに振り返ってはいけなかった。振り
マームと誰かさん・さんにんめ
マームとジプシーを率いる藤田貴大が第56回岸田戯曲賞を受賞した直後、他ジャンルの作家との共作シリーズ「マームと誰かさん」を企画し、小さなギャラリーにて作品を発表。このシリーズはその後マームとジプシーに大きな影響を与えました。その第三弾は漫画家・今日マチ子さんとのコラボレーション。
マームと誰かさん・ひとりめ
マームとジプシーを率いる藤田貴大が第56回岸田戯曲賞を受賞した直後、他ジャンルの作家との共作シリーズ「マームと誰かさん」を企画し、小さなギャラリーにて作品を発表。このシリーズはその後マームとジプシーに大きな影響を与えました。その第一弾は音楽家・大谷能生さんとのコラボレーション。
マームと誰かさん・ふたりめ
マームとジプシーを率いる藤田貴大が第56回岸田戯曲賞を受賞した直後、他ジャンルの作家との共作シリーズ「マームと誰かさん」を企画し、小さなギャラリーにて作品を発表。このシリーズはその後マームとジプシーに大きな影響を与えました。その第二弾は演出家・飴屋法水さんとのコラボレーション。