ほぼ全裸のパフォーマーが輪になって走り続ける『マタドウロ(屠場)』、全身を漆黒に染めたダンサーがひと塊になって観客の間を蠢きまわる『突然どこもかしこも黒山の人だかりとなる』。ブラジルの鬼才マルセロ・エヴェリンは、過去2回KYOTO EXPERIMENTで作品を発表しているが、いずれも客席と舞台が混然一体となった場の中で、観客を興奮と困惑のはざ間へと連れ出してくれた。
そんなエヴェリンが次に目をつけたのが日本の舞踏。舞踏を生んだ土方巽とその残された著作『病める舞姫』を手がかりに、日本で数々の舞踏家や研究者と接触を重ね制作を深めてきた。約30年にわたって活動してきたエヴェリンの身体やダンスへの問いかけが引き寄せた土方のラディカルな思想「衰弱体」。およそ近代のダンスに根底的な問いを投げかけたその思想に対して、野生の知性と生命に満ちた作品を送り出してきたエヴェリンがどのように向き合うのか。 安寧なる日常、そしてコンテンポラリーダンスを激しく揺り起こす作品となることだろう。
※以上、2017年時点の情報
演劇博物館別館6号館3階「AVブース」にて視聴可能です。
【マルセロ・エヴェリン】
ブラジル、テレジナ生まれ、アムステルダムとテレジナを拠点に活動 振付家・研究者・パフォーマー。1986年にパリに移り住み、マーク・トンプソン、オディール・デュボックらにダンスを師事する。1988年には、ピナ・バウシュが主催するヴッパダール舞踊団に入門する。1989年振付家としての活動を開始し、現在までに30を超える作品を制作。当初から、ダンスだけでなく、フィジカル・シアター、演劇、音楽、映像、サイトスペシフィックな作品をはじめとする、異なる分野のアーティストたちとのコラボレーションを積極的に展開。1995年自らの伝記的な長編ダンス作品『ai, ai, ai』でオランダのシルバー・ダンス・プライズを受賞。1996年には、ダンスカンパニー「デモリション Inc.」をアムステルダムで立ち上げる。1999年以降、アムステルダムにあるパントマイムの学校で教鞭を取るかたわら、数多くのワークショップやレクチャーを通してヨーロッパ、アメリカ、アフリカ、アジアを含む世界各地の人々を指導してきた。2006年ブラジルに帰国、キュレーターとして現代舞台芸術のインディペンデントな研究開発コレクティブ集団Núcleo do Dirceuを立ち上げ、2013年まで芸術監督を務める。2003年には、ブラジル人作家エウクリデス・ダ・クーニャの小説『Os Sertões』を基に、ブラジル北東の荒廃した奥地で巻き起こる貧困街の戦争の物語を三部構成で作品に落とし込み、世界各地のフェスティバルや劇場で発表する。そのうちの『Matadouro(屠場)』は2011年のKYOTO EXPERIMENTにて上演。近作『どこもかしこも黒山の人だかりとなる』(2012)や『Batucada』(2014)は世界各地のフェスティバルで発表されている。
【Demolition Incorporada】
1995年、ニューヨークにてマルセロ・エヴェリン(振付)、ジョン・マーフィー(芸術監督)、アナット・ゲイガー(ダンサー)、ヤープ・リンディヤー(音響)により、ダンス作品を創作する場として立ち上げられた。取り壊しを意味する「demolition」は、建物の取り壊し作業がダンス的であることから付けられたが、ネガティブな意味合いではなく、一つの塊を取り除くことが、別の文脈に新たな意味を与えることになるという意味である。固定のカンパニーメンバーによる従来的な作品制作ではなく、毎回異なる参加アーティストやコラボレーターが、みな平等な立場で創作活動をする。また、世界中をフィールドに、企業・学校・地域の芸術センター・現代芸術の団体とのパートナーシップを模索する。当初、デモリション Inc.のInc.は、英語で「組織」を意味するincorporatedの略語だったが、現在では、ポルトガル語で「身体」や「身体化」を意味し、アフリカ系ブラジル人の伝統儀式にも通底するincorporada の略として用いている。2006年、活動拠点をブラジル・テレジナへ移し、スラム化していた地域で芸術性の高い作品公演やワークショップなどを繰り広げる。その20年に渡る活動を通じて、今やテレジナは現代芸術の主要な都市として国際的にも認知されるようになっている。
※以上、2017年時点の情報