「雪摺りの縁茫然とボケ七面鳥が鷹と
なり
雪のはからい」 (ビショップ山田)
北国の鷹匠をモチーフにした作品。鷹のイメージの元となっているのは、1975年に山形県で上演された北方舞踏派結成記念公演「塩首」に、土方巽が生きたまま連れ込んだ七面鳥。そのまま稽古場で飼ったが死んでしまった。土方が振りを全て変え、鷹匠の妻役と同時に女鷹役を務めた雪雄子は、土方から魂が乗り移っていくような気迫のある舞台だったと回想している。
1975年、大駱駝艦の創設メンバーであったビショップ山田により結成された舞踏集団。その結成公演「塩首」は、山形県鶴岡市の舞踏塾グランカメリオで上演され、東京からも主要な舞踏家が共演に駆け付け、伝説の舞台となった。1976年には北海道小樽市に移り、シアター海猫屋を拠点とした。北方舞踏派を母体に、雪雄子を主宰とした女性舞踏集団「鈴蘭党」も設立された。1984年の「鷹ざしき」後、北方舞踏派も鈴蘭党も解体、解散した。
月光を浴びて 私は立つ種子のいのち、いのちの種子は / 確実に封印されるであろう夜、蝶たちは / 海峡を渡るという私がおどるのではなく、すでに / 肉体はおどりへ誘われているのだ無数の満月と 永遠の血の交換が / 為されているようにそのように舞踏は舞踏されればよい(ビショップ山田 「舞踏紀Ⅲ」より)
北方舞踏派の代表作を抜粋した映像集。「塩首」(1975)、 「月下の畝」(1982)、「鷹ざしき」(1984)、「蝦夷面」(1989)の四作が収められている。「塩首」は初演の第一日目よりの記録で、ビショップ山田が黒塗りで登場する。二日目は土方の指示で白塗りになったが映像が残されていない。「蝦夷面」の部分は「My Heart Beat」というタイトルが付けられている。
舞踏ダンサー・山田一平(ビショップ山田)がキーウに滞在し、ウクライナ国立キーウ・シェフチェンコ劇場バレエ団のバレエダンサーを振付けた作品。バレエしか知らなかったダンサー達が舞踏に出会う。当時ウクライナの国民的スターだったアンナ・クシニリューワ等が出演し、同年8月には東京芸術劇場で同作をリメイクした「オデットに夜の扉を」がほぼ同じキャストで上演された。
『鈴蘭党写真集 舞い舞いLOVE-闇する白き舞姫たち』出版記念公演(1981年10月30日発行)。「鈴蘭党」は、ビショップ山田主宰の北方舞踏派を母体とした、雪雄子をリーダーとする女性舞踏集団。鈴蘭が可憐且つ猛毒があるということから命名された。豊玉伽藍は練馬区豊玉にあった大駱駝艦の稽古場である。