少女の軽やかなスキップ。そのシンプルで颯爽とした動きに対して、時間をかけて、一枚ずつ洋服を重ねて着ていく行為を見せる。少女はどんどん着膨れして窮屈な大人になっていき、最後は褞袍(どてら)をまとう。その姿で一生懸命動こうとする滑稽な大人の世界を描きあげる。折田克子は「石井みどりの舞踊家のためのリトミック」というメソッドをいかし、あえて動きの基本のみで自由・不自由が伝わる作品に仕上げている。
一般社団法人石井みどり・折田克子舞踊研究所は、石井みどり・折田克子の長年に亘る現代舞踊の伝承と普及を目的に活動している。
石井みどり(1913-2008)は、1929年現代舞踊創始者・石井漠舞踊研究所に入所。師の相手役として1年目に抜擢されデビューの後、35年 石井みどり舞踊研究所を開設。戦前・戦中・戦後を通して国内外で精力的な公演活動を行い、舞踊家育成にも尽力した。代表作に「祭り太鼓」「ひめゆりの塔」「体」「ブランデンブルグ・コンチェルト」「レクイエム」など多数。著書「よく生きるとは、よく動くこと」草思社(2004年)あり。
折田克子(1937-2018)は、音楽家折田泉と舞踊家石井みどりの長女で、40年から石井みどりに師事。50年 全国舞踊コンクールで文部大臣賞を最年少で受賞。68年 第2回文化庁芸術家在外研修員に選ばれ1年間渡米。国内外(特に韓国・台湾)で公演活動を行い、韓国からは「大韓民国国民平和統一文化賞」を受賞した。代表作に「憶の市」「パラダイス・ロスト」「夏畑」「裸足のカノン」など多数。石井みどり・折田克子舞踊研究所を主宰した。
石井みどり、折田克子共に紫綬褒章など数々の賞を授与されている。
泉勝志(1943-2005)は、56年 石井みどり・折田克子舞踊研究所入所。74年 モーリス・ベジャールに招聘され入団。75年 ル・モンド紙で「韃靼のキリスト」と評される。76年 帰国後は国内で多くの作品を発表。特に折田克子とのデュオでは「伝説のデュエット」と称される。81年 イヅミカツシ舞踊研究所を大阪に開設。その後84年に泉閣士、93年には泉克芳に改名。代表作に「堕天使」「午後の饗宴」「空中庭園」「失楽園」など多数。
泉勝志が折田克子に振付けたソロ作品。泉は折田のエモーショナルでウエットでリリカルな自己の感情を主観的、情緒的に表現する能力を見事に引き出した作品に仕上げた。
石井みどりの初期の作品に「ひめゆりの塔」があるが、時を経て直接的な表現から抽象的な表現に昇華させた作品が「魂魄」。フォーレのレクイエムを使用した鎮魂の舞で、戦争の悲惨さを憂い、また人々を踊りや音楽で癒したい気持ちが強く表れた作品である。
英国の振付師アントン・ドーリンに「こういうものは観たことがない」「この踊りのためにバッハは作曲したのではないか」といわしめた。それが石井みどりのブランデンブルグ・コンチェルトである。石井みどりのこだわりであるリズムの取り方、「溜め」(リズムの裏をとること)から動くこと、「盗み音」があること、「動中の静であること」、これは日本の伝統的な音のとりかたでもある。本作はこれらを象徴する石井みどり作品の代表
ストラヴィンスキー作曲「春の祭典」、石井みどりの振り付けはよくある生贄の物語やスペクタル舞踊でない、石井みどりが名曲から得たインスピレーション、「自然と生命力」がテーマとなっている。ダンサーたちの曲線と直線のせめぎあい、重心移動によって運ばれる足、中心から裏へ身体を使うさま、動中の静などがみどころで、身体がとらえる表現の最終章は、みごとな人間讃歌となっている。