人々の喜びや哀しみ、そして生きる権利を歌い、世界から愛されたチリのアーティスト、ビクトル・ハラ。巨大な暴力に抗しない強い意志で、勇気と希望を歌い続け、1973年のクーデターにより虐殺された。民衆の生きる力と普遍的な魂。彼が伝えたものは何だったのか。同じ芸術家として、この問いにビクトル・ハラの名曲「La Partida」のライブ演奏を背に、地域から這い出てきた公募障害者エキストラの面々と共に取り組み、身体で表現した作品。
演劇博物館別館6号館3階「AVブース」にて視聴可能です。
主宰・金滿里により1983年に大阪を拠点に創設され、身体障害者にしか演じられない身体表現を追究するパフォーマンスグループ。
「身体障害者の障害じたいを表現力に転じ未踏の美を創り出すことができる」という着想に基づき、一貫し作・演出・芸術監督を金滿里が担い、自身もパフォーマーとして出演する。金滿里自身もポリオの重度身体障害者である。
主宰の金滿里が、「7・26 相模原やまゆり園19名障碍者大虐殺事件」をきっかけに、自らの障碍児収容施設での体験をもとにして生み出した作品。障碍者施設の孤独と恐怖の象徴である「アボタカの足」が、閉じ込められた空間から脱走し、太古の森へとに逃げ出す様を描くことで、生き方に「生産性」のタガをはめてくる世の中に対し、身体表現をもって、答えを提示している。
1994年5月に続く2度目の劇団態変&大野一雄の顔合わせ。1部が劇団態変による『霊舞』(作・演出:金満里)、2部に大野一雄・大野慶人による舞踏、3部が大野一雄・慶人と劇団態変のコラボレーション。
1996年8月に、エジンバラ・フリンジ・フェスティバルにて初演。「全くビリビリとしびれるような感動にみまわれる」(The Stage紙)「身体の動きというものの美しさ、意味深長さを教えられる。」(The Scotsman紙) 等の絶賛を受けました。その後、更に練り上げ深めつつ、国内各地で上演を重ねた劇団態変の自信作です。
態変旗揚げ作品。とかく世に否定される障害者は、自らに目覚めようとしたときから強烈な自己肯定と自己主張なしにはやってこれなかった。「障害者で何が悪い」と自らの<肉体>に伴う特有の格好、話し方、生活様式そのものを肯定する作業。これは障害者にしかできない自由な発想でなされていいはずだ。障害者が行う肉体表現として、芝居はいい方法ではないか。この初めての試みに人々を巻き込み、態変は劇的なデビューを果たした。