月光を浴びて 私は立つ
種子のいのち、いのちの種子は / 確実に封印されるであろう
夜、蝶たちは / 海峡を渡るという
私がおどるのではなく、すでに / 肉体はおどりへ誘われているのだ
無数の満月と 永遠の血の交換が / 為されているように
そのように舞踏は舞踏されればよい
(ビショップ山田 「舞踏紀Ⅲ」より)
1975年、大駱駝艦の創設メンバーであったビショップ山田により結成された舞踏集団。その結成公演「塩首」は、山形県鶴岡市の舞踏塾グランカメリオで上演され、東京からも主要な舞踏家が共演に駆け付け、伝説の舞台となった。1976年には北海道小樽市に移り、シアター海猫屋を拠点とした。北方舞踏派を母体に、雪雄子を主宰とした女性舞踏集団「鈴蘭党」も設立された。1984年の「鷹ざしき」後、北方舞踏派も鈴蘭党も解体、解散した。
『鈴蘭党写真集 舞い舞いLOVE-闇する白き舞姫たち』出版記念公演(1981年10月30日発行)。「鈴蘭党」は、ビショップ山田主宰の北方舞踏派を母体とした、雪雄子をリーダーとする女性舞踏集団。鈴蘭が可憐且つ猛毒があるということから命名された。豊玉伽藍は練馬区豊玉にあった大駱駝艦の稽古場である。
舞踏ダンサー・山田一平(ビショップ山田)がキーウに滞在し、ウクライナ国立キーウ・シェフチェンコ劇場バレエ団のバレエダンサーを振付けた作品。バレエしか知らなかったダンサー達が舞踏に出会う。当時ウクライナの国民的スターだったアンナ・クシニリューワ等が出演し、同年8月には東京芸術劇場で同作をリメイクした「オデットに夜の扉を」がほぼ同じキャストで上演された。
北方舞踏派の代表作を抜粋した映像集。「塩首」(1975)、 「月下の畝」(1982)、「鷹ざしき」(1984)、「蝦夷面」(1989)の四作が収められている。「塩首」は初演の第一日目よりの記録で、ビショップ山田が黒塗りで登場する。二日目は土方の指示で白塗りになったが映像が残されていない。「蝦夷面」の部分は「My Heart Beat」というタイトルが付けられている。
「雪摺りの縁茫然とボケ七面鳥が鷹と なり 雪のはからい」 (ビショップ山田)北国の鷹匠をモチーフにした作品。鷹のイメージの元となっているのは、1975年に山形県で上演された北方舞踏派結成記念公演「塩首」に、土方巽が生きたまま連れ込んだ七面鳥。そのまま稽古場で飼ったが死んでしまった。土方が振りを全て変え、鷹匠の妻役と同時に女鷹役を務めた雪雄子は、土方から魂が乗り移っていくような気迫のある舞台だったと