舞踊
アーカイブのみ

月下の畝

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BUTOH-KI Ⅲ
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BUTOH-KI Ⅲ
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月下の畝

月光を浴びて 私は立つ
種子のいのち、いのちの種子は / 確実に封印されるであろう
夜、蝶たちは / 海峡を渡るという
私がおどるのではなく、すでに / 肉体はおどりへ誘われているのだ
無数の満月と 永遠の血の交換が / 為されているように
そのように舞踏は舞踏されればよい
(ビショップ山田 「舞踏紀Ⅲ」より)

デジタルアーカイブデータ

利用方法/利用条件について
映像管理者
ビショップ山田
収録日
1982/10/8(Fri)
権利処理状況
アーカイブのみ

作品情報

上演情報
1982/10/8(Fri)~1982/10/8(Fri)道新ホール(北海道)
出演者・
スタッフ
出演
高橋 光雄
出演
南部 満
出演
小島 一郎
出演
竹之内 淳
出演
藤岡 謙一
客演
土屋 大陸
出演
雪 雄子
構成・演出
ビショップ山田
音響
高間 剛典
舞台監督
竹田 正文
宣伝写真
岡田 正人
フライヤーデザイン
宮川 隆
その他
北方舞踏派公演

上演団体情報

1975年、大駱駝艦の創設メンバーであったビショップ山田により結成された舞踏集団。その結成公演「塩首」は、山形県鶴岡市の舞踏塾グランカメリオで上演され、東京からも主要な舞踏家が共演に駆け付け、伝説の舞台となった。1976年には北海道小樽市に移り、シアター海猫屋を拠点とした。北方舞踏派を母体に、雪雄子を主宰とした女性舞踏集団「鈴蘭党」も設立された。1984年の「鷹ざしき」後、北方舞踏派も鈴蘭党も解体、解散した。

北方舞踏派の関連作品