1980年『月蝕歌劇団』、1981『黄金箱』につづく流山児祥(演出)+高取英(劇作)の戦前派三部作の完結編。
昭和15年(1940年)、東京を、怪奇紅マントの噂が席巻した。「婦女子を誘拐し凌辱する」紅マントの噂とはいったい何だったのか?日中戦争(支那事変)から太平洋戦争(大東亜戦争)へとうつりゆく戦争下、当局は、紙芝居「紅マント」を弾圧、焼却した。燃えていく紙芝居は、紅マントの噂を消滅させたというよりもやがてやってくる東京大空襲の前ぶれであった。
その7年前、三原山火口で女学生の自殺事件があった。この事件は一人の女学生が、自殺の道ずれとして同行し一ヶ月に二度、死を見送るというものであった。死んでいった女学生は、最後に何をみたのだろう。
『帝国月光写真館』は人さらい「赤マント」の伝説と、昭和8年(1933年)に実際にあった944人に及ぶ三原山自殺事件を軸とした、新興宗教弾圧、月光写真や幻視複製機、日本軍の思惑が絡む驚天動地の少年冒険活劇。
1983年2月下北沢ザ・スズナリにて、流山児祥の演出で第二次演劇団によって初演。高取英の代表作と呼ばれている。
演出家・俳優の流山児祥が、小劇場の横断的活動を目的として1984年に設立。劇団でありながらプロデュース色の強い公演を行ってきた。2000年からは海外に進出し、近年は台湾の劇団と共同制作を行う等、精力的に活動を続け、国内での公演では、歌舞伎、シェイクスピア、寺山修司や唐十郎のアングラから最前線の劇作家の新作、名古屋や大阪で活躍する才能の発掘、韓国の現代演劇、ブロードウエイ・ミュージカルとジャンルを問わず、果敢に上演している。また、シニア演劇の可能性を広げる活動も続けている。
しりあがり寿の新作で、演出に天野天街(少年王者舘)を迎えて流山児★事務所が上演した『ヒme呼』。物語は古代の世界。卑弥呼亡き後 、国が乱れ部族が3つに分かれ対立をはじめる。ある時、異民族の男女2人が卑弥呼と似た感染症にかかってしまう。そのウイルスの正体は……恋!? 恋の概念がまだない古代の邪馬台国で恋の病が蔓延する。暗澹たるコロナ禍でつくられた、時代の閉塞感を打破するナンセンス・コメディ。
北村想が1984年に書き下ろし12月下北沢駅前劇場で初演。クリスマス・イブの夜。劇作家、歌手になることを夢見る少女と恋人の少年の三人のささやかなクリスマス・パーティー。やがて、彼らの元に天使が現れる。優しくて透明で、残酷な童話。このメルヘンファンタジーは80年代小劇場演劇のロング作品となり10年間にわたって上演。85年版は「小劇場界3大スタア競演」と銘打ち、塩野谷正幸、大高洋夫(第三舞台)、美加理
鐘下辰男の「tatsuya-最愛なる者の側へ」(第42回芸術選奨文部大臣新人賞を受賞作)を流山児★事務所が1992年の新鋭劇作家シリーズとして「改訂決定版」と銘打ち新宿タイニイ・アリスで上演。高度成長の日本で実際に起きた19歳の少年による連続射殺事件「永山則夫事件」をモチーフに全共闘世代の青春の表と裏を描く。貧しい家庭に育ち不良グループの一員となったタツヤ(有薗芳記)が転職を繰り返しながら、米軍基
黒テントの芸術監督であり、テレビドラマのシナリオライターとしても活躍中の山元清多が『籠釣瓶花街酔醒』を題材に、カルロス・サウラ監督、アントニオ・ガデス主演の映画『カルメン』にインスパイアされて描きあげたのがこの『ピカレスク黙阿弥』。 舞台となるのは、現代。とある劇団の稽古場。すべてはそこで行われる稽古として進行するが、芝居なのか稽古(現実)なのか、分かちがたく重なり合っているメタ・シアター形式で物