あんず動物紀 [Anzu’ology] Ⅳ
あんず動物紀 [Anzu’ology] Ⅳ
「あんず動物紀」シリーズのうち4作目の古川あんずソロ作品。1991年、東京にて初演。何時間もじっと横たわっているワニの時間感覚にインスピレーションを得て制作された。古川によると、ワニの時間は始まりも終わりもない。顔が赤くなるまで呼吸を止めてみると、その時間が味わえるという。
初演時のプログラム:
1.チクタクワニの学習 2.法外に無茶に興奮している処女プアプア
舞踏家・振付家・演出家。74年から78年まで大駱駝艦に参加、75年には同門の田村哲郎と「ダンス・ラヴ・マシーン」を結成、86年まで共に活動した。81年に開講した「ダンス杏スクール」は、第一期から第五期まで断続的に東京やベルリンで開催され、伊藤キムなど力のあるダンサーを輩出した。89年、多国籍のダンサー達と「ダンスバターTokio」を設立、『中国の探偵』を発表。91年にベルリンに移住し、97年までブラウンシュヴァイク教育美術大学で教鞭をとった。ヘルシンキ市立ダンス・カンパニーに振付けるなど、フィンランドのダンサーにも多大な影響を与えた。2001年10月、ベルリンにて死去。
音楽の贈り物(ポトラッチ)
1985年3月から渋谷ジャンジャンにて行われたシリーズ「音楽の贈り物(ポトラッチ)」の第二弾。毎回様々なジャンルからの演奏家を招き、古川あんずのダンスとの共演を試みた。第一回は山下洋輔(ピアノ)、第三回は安倍圭子(マリンバ)、最終回には杵屋弥十介(三味線)が出演した。プログラム 1.ヒロシマのメンデルスゾーン / 2.アリババと40人の盗賊 / 3.シャーロック・ホームズの冒険
1986年にベルリンで開催されたヨーロッパ初の舞踏フェスティバル(主催:キュンストラーハウス・ベタニエン)への参加を控えた古川あんずのベルリン・フェス招聘記念公演。古川がベルリンに移住し、ブラウンシュヴァイク教育美術大学で教えるようになるのは、この5年後の1991年のことである。
大駱駝艦の女舞踏手として70年代を共に過した田中陸奥子と古川あんずによる「紅絹(もみ)の会」発足記念公演。「紅絹」とは、 緋紅色に染めた極薄の平絹で、べにばなを揉んで染めることからその名がある。チラシには、アイラ・ガーシュインが作詞した「言い出しかねて(I can't get started)」の訳詞が掲載されている。
世界ダンス体系Ⅱ
「1933年には、キング・コングは男性原理を象徴するものだった。半世紀後の今日では、それは、富の力の前に敗れ去ろうとする、全世界の「土」と「水」と「誇り」の象徴となった。今こそ、愛の不可能性に傷ついたキング・コングに、優しいエールを贈る時だ。まだ、まにあうだろうか。」ー古川あんず(プログラム解題より)プログラム:Act1.歯磨き夫人と宿六 / Act2.何処へ / Act3.濡衣 / Act4.神