1980年に「白虎社」を立ち上げることになる大須賀勇は、1976年の東南アジア舞踏行脚を経て、翌年「東方夜總會」を創業した。本映像は吉祥寺のライブハウス曼荼羅で行われた東方夜總會創業公演を収録。チラシによれば演じられた演目は「山王ギャマン糖ー劇場を支える踊り子への招待」。白虎社の代表作『ひばりと寝ジャカ』や他の作品へと昇華するさまざまな原型が見てとれる。音楽も後によく使われた曲が多いが、後から編集されたものである可能性もある。
1980年に設立され、1994年の解散まで京都を拠点に活動した舞踏団。主宰は舞踏家・大須賀勇。独自のアジア的感性を通じて、芸術と芸能を串刺しにする「明るい暗黒」を表出させ、原初のエネルギー渦巻く舞台を展開した。テレビへの出演、ダンスビデオ作品の制作など、それまでの舞踏の枠を広げた活動も積極的に行い、夏には熊野の山奥で、第一線で活躍する様々なジャンルの講師を招いて舞踏体験合宿を開催した。代表作は「ひばりと寝ジャカ」。大須賀は1990年、京都府文化賞功労賞を受賞。
1980年から始まった白虎社による関西一円大学祭ツアーでは81年に『少年少女のくす玉』を上演。本映像には、京都市立芸術大学でのリハーサルの一部と本番の前半部分が収められている。80年に同志社大学で上演された『鯢骨の森』と重なる部分も多いが、踊り手の数が増えている。上半身裸で輿を運ぶ役を担っているのは、学生達。「人間時計」と称し白虎社により針として時計にくくりつけられた者もいた。雪が降るほどの寒さの
弁天島海上野外劇場
白虎社の主宰である大須賀勇が芸術総監督を務めた「クマノ・スパーク(熊野国際アートフェスティバル)」での、白虎社と豪華音楽陣による月光夜想曲、『月神(つきがみ)さんの輝く都』の映像記録。大須賀の総合演出による当該フェスティバルのみのオリジナル作品。<自然との融合>をめざすこのフェスティバル期間だけ、那智湾に浮かぶ弁天島へ約130mの仮設橋が架けられ、弁天島の大岩を背景とした海上野外劇場が出現した。
詩人の白石かずこの「ポエトリー・レストラン・シアター」に白虎社の舞踏手が出演し、白石の朗読と井上敬三によるサックス演奏とで踊った。白石はジャズの演奏家だけでなく舞踏家とのコラボレーションも多く、白虎社の夏期合宿にも顔を出していた。約3週間後に京都KBSホールでの「ミナカタクマグスのようなテレビジョン」上演を控えていたこともあり、蛭田早苗のソロや男性舞踏手の石を打つ踊りの動きなどは同作品でも見られる
白虎社は公演以外でも「出前芸術体」として、「からだ」と「芸術」を出前、一般家庭のパーティからコンサートやCM出演まで幅広く出没した。本映像には以下の白虎社出演部分が収められている。・石井聰亙監督「アインシュテルツェンテ・ノイバウテン 半分人間」(1986)・布袋寅泰ソロ・コンサート「GUITARHYTHM」より”WIND BLOWS INSIDE OF EYES”(1988)・TBSテレビ「ザ・ベ
