「WAVE」は点から拡がり点に戻るシンプルな構成と、エネルギーの波動に共感を呼んだ加藤の舞踊の原点。「点と遠景とカンタータ」は、カルダーの絵画より白い衣装に置かれた黒点、舞台両側に座る詠唱と鐘等の奏者を設置。東洋の足捌きの入るミニマルな舞踊が繰り広げられる。「FIUME」は、イタリア語で河の意味。一点の雫から全てのものを呑み込んで海に向かっていく悠久の流れ。動きと音と声が合流し生命の営みを紡いでい
若手バレエダンサーを中心としたガラ公演の14回目。第14回の副題は「バレエと変容」であり、「20世紀のバレエ・ダンスの流れから次の世紀のありようを探り」、「クラシックバレエからコンテンポラリーダンスまでその表現の違いを探る」ことが目的だ。第1部の「99ローザンヌ国際バレエコンクール受賞者によるバリエーション」では、98年、99年に開催されたローザンヌ国際バレエコンクールの上位入賞者が古典作品を踊っ
(フライヤーより)つねに新しいダンスの可能性を模索し、各方面から熱い注目を集める3人のダンサーたち。今回は、それぞれがもつ世界をステップアップさせ、ダンスの概念を超えたエネルギッシュなステージをつくります。ダンスコラボレーション 2何かが動きはじめる。
-
男は演出家。家では夫、父、息子。オイディプス演出中に発病し、入院する。癌と疑い、医師、家族、友人に真実を教えるよう迫る。嘘と隠蔽の中、彼はオイディプスと自らの行動を比較。不治と察しつつ、家族の思い遣りを傷つけまいとする。オイディプスに重ね合わせ死を見据えるうち、日本の風土や人情を容認する気持ちになる。クリスマス、友人と家族と共に、そのひと時を心から楽しもうとする。外にはすべての汚れを払う雪が舞う。
開けてはいけない箱を誘惑に負けて開けてしまったパンドラ。箱から飛び出した災いと希望が現代の芸能界を舞台に繰り広げられる。不幸、病気、欲望、絶望、嫉妬などさまざまな災いに見舞われる人々。どん底まで落ちた人々にも最後の最後には必ず希望がある。それぞれの災いを乗り越えて希望へとたどり着く人々。
タビネズミは異常発生が起こると集団で移動し、時に河などで大量死するという。これは繁殖を適正に調整する淘汰の一種との説をも生み、人類の文化史観に影響を与えている。作品はタビネズミにおける死の舞踏を描く。異常発生の中、突如、舞踏狂が巻き起こる。盲目のネズミ(若松)を除く全群が乱舞し、嬉々として川に飛び込み溺死する。佇む盲目のネズミ。一転、人間に変身。場面は街角。傍らを、幼児の手をひく妊婦が通り過ぎる。
メタファーとしての王の最期を描く。専制的な帝王が没落の道を辿る。将軍は背き、愛妾は逃げ、王は捕えられ処刑が言い渡される。王を捕えた者が次の王になる。それは昨日までの王の道化であった。死の直前の王。この人生の皮肉は「一場の夢」だ。青春の終焉、定年、或いは肉体の衰え、栄枯盛衰、大自然の四季の移ろいなどのメタファーとして描かれる。次の王が昨日までの道化なら、今までの王もかつては道化であった、という苦さ。
ダンスがみたい!
大学卒業後53年。一日に1~2回は笑うから、合わせて四万回近く笑った勘定になる。その笑いを棺に詰めあの世に旅立つ人生を考えています。(若松談)自由ダンスを提唱する若松の、エッセイ風なダンス。地蔵像の前の踊りから始まり、歌あり、詩の朗読あり。客席やバックヤードで弟子達が合唱する。「歌って踊るというのではなく、人生のあがきでもあります。少し言いたいことがあるプリコラージュな身体」夕焼けの中で、一人踊る