英国演劇界の寵児、サラ·ケインの遺稿となった戯曲を飴屋法水が演出、ホーメイ (喉歌)歌手の山川冬樹と様々な国籍の職業俳優ではない役者と共に作り上げた舞台。劇場の観客席が今作の舞台。それと対面して、いつもの舞台上には特設の観客席が用意されており、ダークな照明の中、舞台前面では血のように赤いプールの水が滑らかに光っている。11人の役者たちはケインの詩のように書き連ねられた言葉を、彼らにとっての外国語=
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(パンフレットより)今日さんの絵の、淡い水色の先に存する、おおきな暗闇のようなものに魅せられてしまった、どうしたものか。どうすればこれを、ぼくの。マームとジプシーでの日々の作業に、融合させることができるか。ずいぶん、長いこと。彷徨っていたようにおもう。やがて遠くのほうから。或いは、どこか切れ間から。郁子さんの音が、まるで降ってきたように、聴こえてきた瞬間があった。こうして、つながって。この場所、ひ
時は1900年。明治33年の年の暮れ、まだ「未来」という言葉がなかった時代。東京の外れにあるキリスト教会が舞台。この土地に教会を開いた立派な神父さん亡き後を引き継いだ、聖書も読めないダメ神父。その人柄の良さだけでなんとかやりくりしていたのだが…西の方からやってきた牧師さんが、この教会は私が預かると言い始める。果たして、ダメ神父は教会を守って新しい世紀を迎えることができるのか。
傾きかけた商店街。再起をかけてYouTuberを始めた商店街メンバーたち。そしてそんな人間たちをじっと見つめる、ねずみ。 クリスマス、小さな商店街の事務所に大きな奇跡が訪れる………再生回数と登録者数に振り回されつつも、大事なものを守るため奔走する商店街メンバーの、ちょっぴり切なくも暖かい人間讃歌。普通のミュージカルとは一味違う、でもたくさんの唄に彩られた最高にハッピーな「ストレートプレイミュージカ
「3.11以後の生活」を捉えるため、宮沢童夫が引いた補助線は「1986年の東京」だった。アイドル歌手の飛び降り自殺が盛んに報道され、チェルノブイリ原発事故が世界を震憾させた年の夏、屋上でビンゴゲームに興じる人々の姿は享楽的なようで、どこか乾いた虚無感をも漂わせる。その様子を眺めるのは、「欠落の女」「忘却の灯台守」、そして2011年に生きる映画学校の生徒たち。彼らの視線、撮影された映像をたどりつつ、