日本現代演劇の潮流を変えた代表作、完全なる”再創造”
90年代生まれの新キャストとともに放つ、集大成にして新たな挑戦が
“演劇”をふたたび覚醒させ、”私たちの現在”を浮き彫りにする
2003年3月、アメリカ軍がイラク空爆を開始した日を含む5日間の東京の若者達の日常を描く「三月の5日間」。その言葉と身体の関係性を軸にした非類なき方法論によりそれまで当たり前とされてきた劇構造を根本から覆し、後に続く若手作家達に大きな影響を与え、日本現代演劇史の転機として語られている。遠くの戦争と無関心な若者の日常を描いた初演から十数年が経ち、若者像や社会情勢、情報伝達の速度、戦争との距離感も大きく変化し、劇中で描かれる人間像や状況はもはや「時代劇」となった。物語内容はそのままに、当時と現在の時間の行き来への意識を促すべく書き換えた戯曲、現在性をまとった若い俳優の身体、パフォーマンスとの関わりによって限りなく意味を変容させるトラフ建築設計事務所による舞台空間が、同時代の切実な人間像や容赦のない社会のありさまを鮮明に浮かび上がらせる。何が変わり、何が変わっていないのか。
今回のリクリエーションでは、舞台上の言葉・身体・空間は、すべて観客が〈想像〉を描くための触媒であるという演劇の本質的な構造を徹底的に追求した。演出の岡田が力を注いできた、〈想像〉を駆使した演出方法の極地と言ってよい。さらにこれまでの幅広い創作によって進化させてきた、ノイズがざわめくような言葉と身体性を発揮するスタイルと、贅肉を削ぎ落とすようなミニマルなスタイルとが絶妙に混ざり合い、次の新たな展開への芽吹きともいえる新境地を見せる。
演劇博物館別館6号館3階「AVブース」にて視聴可能です。
有料オンデマンド配信。視聴にはvimeoの会員登録が必要です。(レンタル1,800円)
岡田利規が全作品の脚本と演出を務める演劇カンパニーとして1997年に設立。
独特な言葉と身体の関係性を用いた手法が評価され、現代を代表する演劇カンパニーとして国内外で高い注目を集める。その日常的所作を誇張しているような/していないようなだらだらとしてノイジーな身体性は時にダンス的とも評価される。
ある契約社員の女性がファミレスで毎日の出勤前に過ごす、ささやかで、大切でちょっと異様な30分の「フリータイム」を描く。チェルフィッチュは本作で、これまでに継続的に行われてきた演劇的ナラティブへの模索を、さらなる抽象へ向けて加速させた。KUNSTENFESTIVALDESARTS(ブリュッセル)、Wiener Festwochen(ウィーン)、Festival D'automne(パリ)による初めて
2011年の東日本大震災をきっかけに岡田利規の演劇観は「フィクション」の有効性を探求することへと舵を切り、社会の中の緊張感や断絶を寓話的に描いた「現在地」(2012年)と「地面と床」(2013年)を発表しました。『部屋に流れる時間の旅』では、ふたたび震災後の社会背景を主題としながらも、社会での断絶が生じる以前の個々人の心の葛藤や恣意的な感情をきわめて細密に見つめ、拡張し、これまでにない新たな表象
2012年に発表した『現在地』より、演劇に対する態度を大きく変化させた岡田利規。そこには、震災とそれによって引き起こされた日本の社会状況がまぎれもなく影響しています。今作『地面と床』で、その変化がもたらしたフィクションへの探究をより深めて描き出したのは、"そう遠くない未来の日本"を舞台にした死者と生者の物語。さらに、これまでにも取り組んできた音楽とパフォーマンスの関係性をより発展させるべく新たなア
いま・ここにいる人間のためだけではない演劇は可能か?人とモノが主従関係ではなく、限りなくフラットな関係性で存在するような世界を演劇によって生み出すことはできるのだろうか? 東日本大震災で大きな被害を受けた岩手県陸前高田市では、失われた住民の暮らしを取り戻すべく、津波被害を防ぐ高台の造成工事が行われている。もとの地面から嵩上げされる高さは10メートル以上。そのための土砂は、周辺の山をその原型を留めな