ある契約社員の女性がファミレスで毎日の出勤前に過ごす、ささやかで、大切でちょっと異様な30分の「フリータイム」を描く。チェルフィッチュは本作で、これまでに継続的に行われてきた演劇的ナラティブへの模索を、さらなる抽象へ向けて加速させた。
KUNSTENFESTIVALDESARTS(ブリュッセル)、Wiener Festwochen(ウィーン)、Festival D'automne(パリ)による初めての国際共同制作作品。今話されているのは、現実に起こっている出来事なのか、それとも彼女の妄想、あるいは彼女についての憶測なのか?しゃべっているのは、誰なのか?その人は存在するのか?現代の、日本の、この管理社会における自由を問う意欲作。
演劇博物館別館6号館3階「AVブース」にて視聴可能です。
岡田利規が全作品の脚本と演出を務める演劇カンパニーとして1997年に設立。
独特な言葉と身体の関係性を用いた手法が評価され、現代を代表する演劇カンパニーとして国内外で高い注目を集める。その日常的所作を誇張しているような/していないようなだらだらとしてノイジーな身体性は時にダンス的とも評価される。
日本現代演劇の潮流を変えた代表作、完全なる”再創造”90年代生まれの新キャストとともに放つ、集大成にして新たな挑戦が“演劇”をふたたび覚醒させ、”私たちの現在”を浮き彫りにする 2003年3月、アメリカ軍がイラク空爆を開始した日を含む5日間の東京の若者達の日常を描く「三月の5日間」。その言葉と身体の関係性を軸にした非類なき方法論によりそれまで当たり前とされてきた劇構造を根本から覆し、後に続く若手作
重大なミッションを果たすべく、イン・ビトゥイーン号が、四人の乗組員と一体のアンドロイドを載せて、宇宙を漂泊しています――『宇宙船イン・ビトゥイーン号の窓』では、内容的な〈リアリティ〉と形式的な〈リアリティ〉、どちらの〈リアリティ〉も複数、並列的に提示されます。演劇において、舞台の上で、せりふがある言語で発される……。そのことの意味・機能についても、『宇宙船イン・ビトゥイーン号の窓』では複数のそれら
いま・ここにいる人間のためだけではない演劇は可能か?人とモノが主従関係ではなく、限りなくフラットな関係性で存在するような世界を演劇によって生み出すことはできるのだろうか? 東日本大震災で大きな被害を受けた岩手県陸前高田市では、失われた住民の暮らしを取り戻すべく、津波被害を防ぐ高台の造成工事が行われている。もとの地面から嵩上げされる高さは10メートル以上。そのための土砂は、周辺の山をその原型を留めな
2012年に発表した『現在地』より、演劇に対する態度を大きく変化させた岡田利規。そこには、震災とそれによって引き起こされた日本の社会状況がまぎれもなく影響しています。今作『地面と床』で、その変化がもたらしたフィクションへの探究をより深めて描き出したのは、"そう遠くない未来の日本"を舞台にした死者と生者の物語。さらに、これまでにも取り組んできた音楽とパフォーマンスの関係性をより発展させるべく新たなア