北海道の日本海に面した人口僅か318人、78世帯の寒村“男冬”。三方を断崖絶壁に囲まれ、隣町とは船で1時間15分、しかも夏場の2か月間だけ。この陸の孤島“男冬”が、戦後民主主義の混乱の中、GHQの命令で「独立した村として、村会議員5人を選ぶ」ハメになったのである。その後戦後復興、高度成長へと進むニッポンから忘れ去られた男冬村がたどった運命は? 辺境地の視点から日本を見据えた藤田傳の「ツイテナイ日本人シリーズ」第1作。
演劇博物館別館6号館3階「AVブース」にて視聴可能です。
「1980」と書いて「イチキュウハチマル」 、通称ハチマル。
横浜放送映画専門学校(創設者=今村昌平 現:日本映画大学)を母体とし、演劇科卒業生が創立メンバーとなって、文字通り1980年に結成。首都圏劇場での新作公演の他、演鑑公演・学校公演、ルーマニア・モルドヴァ・ブラジル・韓国等での海外公演を実施。また若手俳優陣を中心とする劇団アトリエでの実験的創作など、さまざまな形態で舞台作品を発表しながら、ハチマル的オリジナリティと演劇表現のさらなる可能性を追求し続けています。
30年前に蒸発した父親の足取りを追う息子。浮かんでは消えていく幻影を追い、父と子の空白の時間は徐々に蘇っていく…。藤田傳が第29回紀伊國屋演劇賞個人賞を受賞した秀作を、モルドヴァ演劇の旗手ウジェーヌ・イヨネスコ劇場芸術監督ペトル・ブトカレウが演出。長い間のソ連支配、独立後はヨーロッパ最貧国とも呼ばれたモルドヴァの視点から、藤田傳が描いた社会底辺の悲しみを極彩色の鮮烈さで描き出した舞台。
「處女評判善悪鏡」通称『白浪五人女』。幕末の退廃を反映した因果応報と救いようのない不条理を、流れるような七五調のセリフと浄瑠璃を組み込んだ音楽性豊かな様式美で描き出した"白浪作者"黙阿弥、円熟期の一作。責め場・強請場・愁嘆場、さらに女白浪ならではの色模様を組み込み、からませ、誇張し、洗練させたこの作品を、藤田傳とハチマルが我流の舞台化。歌舞伎という演劇のエネルギーとリアリズムに迫りながら、ハチマル
慶応3年、日本の民衆たちの間で突如巻き起こった「ええじゃないか」。この歴史的事件を元に映画監督・今村昌平が1981年に映画化。そのシナリオを原作として藤田傳が脚色。舞台は、猥雑な見世物小屋が立ち並び、はぐれ者や身売りされた娘たちが生きる江戸 “向う両国”。悪所とも言えるこの一帯に、自由を求めて群がる人間たち。そのエネルギーを利用して維新推進を企てる倒幕派の策謀。人間が人間臭くうごめき、からみあう群
「鳥取」が「島根」だったころ…。明治4年、明治政府は版(土地)籍(人民)奉還の具現化を目指し「廃藩置県」に踏み切った。藩は県と改められ、全国に3府302県が誕生、同時に鎌倉幕府開闢以来670年余に及んだ封建制社会は終わり、日本という「国家」を母体とした国造りが始まった。これは明治の奔流の中で、哀れなほどに奇形化していった鳥取の貧窮士族たちの物語である。藤田傳「日本土民考」シリーズ第3作。 “日本の