北海道の日本海に面した人口僅か318人、78世帯の寒村“男冬”。三方を断崖絶壁に囲まれ、隣町とは船で1時間15分、しかも夏場の2か月間だけ。この陸の孤島“男冬”が、戦後民主主義の混乱の中、GHQの命令で「独立した村として、村会議員5人を選ぶ」ハメになったのである。その後戦後復興、高度成長へと進むニッポンから忘れ去られた男冬村がたどった運命は? 辺境地の視点から日本を見据えた藤田傳の「ツイテナイ日本人シリーズ」第1作。
演劇博物館別館6号館3階「AVブース」にて視聴可能です。
「1980」と書いて「イチキュウハチマル」 、通称ハチマル。
横浜放送映画専門学校(創設者=今村昌平 現:日本映画大学)を母体とし、演劇科卒業生が創立メンバーとなって、文字通り1980年に結成。首都圏劇場での新作公演の他、演鑑公演・学校公演、ルーマニア・モルドヴァ・ブラジル・韓国等での海外公演を実施。また若手俳優陣を中心とする劇団アトリエでの実験的創作など、さまざまな形態で舞台作品を発表しながら、ハチマル的オリジナリティと演劇表現のさらなる可能性を追求し続けています。
昭和49年11月、大分県・別府国際観光港第三埠頭フェリー岸壁から、家族4人を乗せた車が海中に転落。母親と2人の子供は車内に閉じ込められたまま水死、男だけが真っ黒い波間にむっくりと浮かびあがった――別府・三億円保険金殺人事件はこうして始まり、そして「荒木虎美」の名前は、九州一のワルとして日本中の注目を集めていく。『虎美』は、藤田傳が事件発生直後から追い続けたこの事件の最終稿として、ひとつの犯罪をめぐ
日本のレコード歌謡の草創期——昭和4年、「東京行進曲」の大ヒットで一世を風靡した歌姫・佐藤千夜子。激動した時代を奔放に駆け抜けた一人の女性歌手の生涯を、演出家・関矢幸雄が提唱する“素劇(すげき)”で描いた、劇団1980の代表作。舞台美術や照明、衣裳やメイクにたよらず、何もない空間の中で、”見立て”を駆使したシンプルで、しかも創造力豊かな劇様式です。見立てであるからこそ自由、何もないからこそ高まる想
『大往生』は、永六輔が25年に亙り、全国津々浦々を旅する中で耳にした無名人、普通人、一般人たちの言葉の数々から「老い」「病い」「死」について、どこかで誰かが語った名言・箴言を選び出し、一冊の本にまとめあげた“言葉の書庫”である。本作品は、ある架空の養老院を舞台に、人生の熟達者たちのおしゃべり、つぶやきをちりばめながら、測ることのできない命の重さ、生きることの楽しさ、そして何より、人間が創り出した最
ある日、警察から手渡された一冊の黒焦げのノート。某山中でガソリンを被って焼身自殺した老人の、唯一の遺留品だという。そして自殺したその老人こそ、30年前、母と5歳になる自分を捨てて蒸発した“父”であった。ノートに残された焼け焦げの文字を手掛りに、父親の30年間の足取りを追う息子。浮かんでは消えていく幻影を追い、父と子の空白の時間は徐々に蘇っていく…。3話オムニバスの形式をとりながら、社会底辺の貧困と