西日本醸造界で焼酎を基盤に急成長を遂げた醸造元“西の元帥”のワンマン会長が不慮の事故で他界。駐在報告によると“深さ30センチそこそこの溝にはまっての溺死”。葬儀を終えた遺族達の上にのしかかってくる巨額の遺産相続と巨大な疑心暗鬼。国宝級価値とも言われる“塼仏(せんぶつ)”の行方までがからみあい、仏と伝説の地・大分国東半島を舞台に、波乱万丈に生きた会長の個人史に振り廻された一族郎党、そして地域共同体の末路。藤田傳戯曲集『ツイテナイ日本人』三部作の第2話。
演劇博物館別館6号館3階「AVブース」にて視聴可能です。
「1980」と書いて「イチキュウハチマル」 、通称ハチマル。
横浜放送映画専門学校(創設者=今村昌平 現:日本映画大学)を母体とし、演劇科卒業生が創立メンバーとなって、文字通り1980年に結成。首都圏劇場での新作公演の他、演鑑公演・学校公演、ルーマニア・モルドヴァ・ブラジル・韓国等での海外公演を実施。また若手俳優陣を中心とする劇団アトリエでの実験的創作など、さまざまな形態で舞台作品を発表しながら、ハチマル的オリジナリティと演劇表現のさらなる可能性を追求し続けています。
日本のレコード歌謡の草創期——昭和4年、「東京行進曲」の大ヒットで一世を風靡した歌姫・佐藤千夜子。激動した時代を奔放に駆け抜けた一人の女性歌手の生涯を、演出家・関矢幸雄が提唱する“素劇(すげき)”で描いた、劇団1980の代表作。舞台美術や照明、衣裳やメイクにたよらず、何もない空間の中で、”見立て”を駆使したシンプルで、しかも創造力豊かな劇様式です。見立てであるからこそ自由、何もないからこそ高まる想
昭和49年11月、大分県・別府国際観光港第三埠頭フェリー岸壁から、家族4人を乗せた車が海中に転落。母親と2人の子供は車内に閉じ込められたまま水死、男だけが真っ黒い波間にむっくりと浮かびあがった――別府・三億円保険金殺人事件はこうして始まり、そして「荒木虎美」の名前は、九州一のワルとして日本中の注目を集めていく。『虎美』は、藤田傳が事件発生直後から追い続けたこの事件の最終稿として、ひとつの犯罪をめぐ
文芸評論家・正宗白鳥が“人生永遠の書のひとつ”とまで評した深沢七郎の小説『楢山節考』。「素劇 楢山節考」は、決して姥捨ての話だけではありません。小さく貧しい村で、家族や村人たちが助け合って生きる四季折々の営みを、“楢山節”という唄を通して描いています。そこには、ヒトが生きることへの知恵があります。――楢山祭りが三度来りゃよ 栗の種から花が咲く――原作『楢山節考』が問いかけるヒトが生きる意味、生きと
明治26年5月25日深夜、河内平野を血で染める事件が起こった。人呼んで「河内十人斬り」。ところがこれが音頭にのると「男持つなら熊太郎・弥五郎、十人殺して名を残す」の名調子。はたして二人は凶悪犯かヒーローか? 商店街の音頭一座がヒト山当てようと挑み始めた河内十人斬りの新解釈。三味線・太鼓にエレキギター、実演入りで河内音頭を再現しながら右往左往の珍解釈の果てにたどりつくのは…。藤田傳1990年書き下ろ