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昭和8年。日本の女子スポーツは発展途上。「女が人前で足を出すとは何事か!」と才能ある選手が出ても世論がその芽を摘む有様。そんな時代、日本初の女子体育高等師範学校が設立される。100m走で日本記録を出した早乙女撫子もその学校に入ることになった。撫子にとって、学校生活は刺激的で発見の連続。女子スポーツを取り巻くあらゆるものを経験しながら、撫子は自分にとってスポーツとは何か問いながら成長して行く。
わ芝居~その弐
昭和3年。天乃屋本家は旦那が事故死、番頭は病死、残ったのは跡取り娘の病弱なシズ一人。病弱な娘には婿の来手がなくこのままでは本家がつぶれると、親戚一同困っていた。せめて一代だけでも繋げれば、何とかなるかもと考え都合のいい男として白羽の矢が立ったのが手代・伊助であった。伊助は断れず、本家の旦那に就任してしまう。計画は順調に思われたのだが…。古典芸能とのコラボ企画として誕生した「わ芝居」シリーズ第二弾。
2006年、90歳の戌井市郎(文学座代表)を座長に、青年劇場の瓜生正実、本多一夫、岩淵達治、観世栄夫、中村哮夫、肝付兼太といった平均年齢80歳のメンバーで高齢者劇団=パラダイス一座を旗揚げ。美術:妹尾河童、音楽:高橋悠治、宣伝写真:荒木経惟の豪華スタッフ。作:山元清多(黒テント)、演出:流山児祥の劇作は、「七人の侍」の登場人物よろしくの銀行強盗団が繰り広げる荒唐無稽のアクションコメディ。NHK劇場
江戸時代から続いてきたらしい和菓子屋「亀屋権太楼」が、経歴の捏造に端を発した騒ぎで存続の危機に立たされる。新しい社長は評判の人格者。彼なら道を誤らないはずだ。店、家族、そこに関わる人たちの10年間。場所も時間もとばしながら、視点を変えて人々の営みを俯瞰するMONOの新たな試み。善人と悪人の境界線はどこにあるんだろう? 私たちは誰に味方すればいいのだろうか?
陸の孤島と化し、立ち退きを迫られた病院を舞台に、わざわざ通院してくる老人や幽体離脱できる入院患者など、病院に集う人々の人間模様を描きながら、神の存在の有無にも踏み込む。
広告代理店に勤める赤星。バリバリの現役高校生・剣之介。年齢は違えど、二人にはともに熱い思いを寄せる相手があった。そしてまた周囲を気遣うあまり、どうしても打ち明けられないのも二人の共通点。 パラレルに描かれていく二つの恋物語は、やがて時間のラビリンスの中へと迷い込んでいく。果たして二つの恋の行方は? そして赤星と剣之介の関係は? 「シンデレラ」
1986年26歳にて岸田國士戯曲賞を受賞した川村毅による、翌1987年の新作『フリークス』はPARCO劇場提携により、パルコ・スペースパート3にて初演。翌88年ザ・スズナリにてDAISAN EROTICA Festivalと銘打ち、最新作『フリークス」と旧作『コックサッカー・ブルース』を同時上演。
カノン形式に沿って、2人の男女の出会いは何度も何度もリフレインし、男は幼児時代から大人へ向かって生き、女は老女から少女へ向かって生きながらすれ違いを繰り返す。2人はまるで現代の織り姫と彦星のようだ。電話で繋がってはむなしくその糸は切れてしまう。果たして2人は再び出会うことができるのか。
劇団青年座創立50周年記念公演 第3弾
生まれついてけもののように生きていくしかない哀しい定めの男たちがたむろする安楽亭。そこに場違いな男がフラリ現れた。「俺は知ってるぜ。この店がどんな店か。」男は酔い潰れ、嗚咽する。ある夜、与兵衛が傷ついた若者を担ぎ込んで来た。身なりからして真面目そうなこの男もまた事情ありのようだ。「いったい、何をしたの。」おみつの言葉に身の上を話し出す富次郎。その時、他人とは関わらなかった安楽亭の男たちの血が騒ぎ始
ムカシ昔、夢か死、無か私…時代がかった駅舎めく礼拝堂めく病室めくその場所に、"新感染棄望X+零號(しんかんせんのぞみエクスプラスゼロゴウ)"出発のベルが鳴り響き、悪疫と戦争と殺人の惨禍が走馬灯のように繰り返し繰り広げられる。わたしの夢なのかわたしが夢なのか?わたしが見ているのかわたしが見られているのか?すべての存在の輪郭を滲ませながら強制収容の終着駅へ向かう、ナイトメア&フェアリイテイル。長大なモ
高天原乳業の女子社員寮はソフトボール部が支配する伏魔殿!?実業団リーグの絶対王者である彼女たちは今夜も地下食堂に集結する!小劇場界の風雲児「柿喰う客」の最新作は女優9名によるクロスゲーム!栄光の影に隠された悪夢の歴史を暴き出すアンチ・ヒーロー・サスペンス!
“見えすぎるもの”が溢れている現代にて。SDGsグリーンレジデンスの住人・神納のPCに届いたVideo。それはマンション管理組合の理事たちのZOOM会議の様子。神納にVideoを届けたのは、「見えざる使者」。彼らは、神納宅のベランダ庭園で生きている植物の「声」を担当している“メッセンジャー”。植物から発せられた“目には見えない声”(劇中ではタマ)を人間たちにお届けるために、見えざる使者たちは目に見
椿組2024年春公演
「コロナ」後の現在——経済、生活を混乱させ今迄の価値観をがらりと変貌させたこの状況は、明治時代初期の開化期と似ている。武家社会が崩壊し旧い身分制度が廃止された時、市井の人々の右往左往が始まった。「平民となった下級武士」を主人公におき、突然新しい生き方を強要された民の人達と社会の混乱を描きながらも共に助け合い生きる人間讃歌を描いた。没落した下級武士が東京に出て様々な混乱の中新しい愛を手に入れる庶民の
郵便配達員が手紙を届けに行くと、長い行列が出来ていて進めない。聞いてみると、デパートの倒産セールやパチンコの新装開店、焼肉食べ放題など、並ぶ理由は人によって言うことが違うが、「せっかくここまで並んだのだから」と去る者はいない。やがて列は建物に入って行くが、迷路を歩くうちに、目的ばかりか自分が何者かさえあいまいに・・・。いかがわしい現代社会で生き人間が本物を問いかけ、その不条理性を描く。
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僕たちの一夜の奇妙なアルバイト。それは明日取り壊される古い屋敷の床下に埋めらえた”ある物”を掘り起こすことだった。正義と邪悪が交錯し、夢と絶望が裏取引を繰り返す都会の真ん中に、忽然と姿を現した現代の羅生門で、僕たちが見たものはいったい何か―――。
【 あらすじ 】ある日、ひきこもりの息子に戦場への迎えが来る。母親は、息子の代わりに自分が出征すると言い出した……。日常と地続きの戦争を母と子の関係を軸に描く、うさぎ庵流のやわらかな不条理劇 。花組芝居の桂 憲一 、大井靖彦がジェンダーも年齢も超えて、母と息子を瞬時に演じ分ける。二人に関わる様々な他者を演じるのも、花組芝居の植本純米。
しりあがり寿の新作で、演出に天野天街(少年王者舘)を迎えて流山児★事務所が上演した『ヒme呼』。物語は古代の世界。卑弥呼亡き後 、国が乱れ部族が3つに分かれ対立をはじめる。ある時、異民族の男女2人が卑弥呼と似た感染症にかかってしまう。そのウイルスの正体は……恋!? 恋の概念がまだない古代の邪馬台国で恋の病が蔓延する。暗澹たるコロナ禍でつくられた、時代の閉塞感を打破するナンセンス・コメディ。
僕の名前は羽山走次。8歳で小学校の3年生。それはある日、突然、起こったんだ。お父さんもお母さんも、いきなり子どもになっちゃった。お兄ちゃんも幼稚園児みたいだし、おじいちゃんはまるで赤ちゃん。どうしてこんな不思議なことが起こってしまったのだろう? それはどうも、ぼくの精神年齢だけが大人になった、ということらしい。つまり僕から見れば、精神年齢の低い人は学校の先生だろうが子どもに見えるってわけ。でもどう
本作品は、わかぎが大阪鶴橋の隣町で育ち、実際に見聞きし「隣人達」と向き合ってきた実体験を元に書かれた。日本の統治にあった朝鮮半島では、日本語教育も実施され、大正中期には、多くの人が働き手として日本に渡ってきた。昭和に入り、ソジンも日本にやってくるがそのうちに日本人から差別されている事に気がつく。そんな中ある日勤め先の令嬢、桜子に恋をしてしまう…それは彼らの人生の長い長い恋の物語の始まりでもあった。
金がない、仕事もない、家庭もないし、未来もない!弟夫婦に世話になりながらのらりくらりと糞溜めのような日々を過ごしていたおじさんが「あの娘」と出会うことで始まる、恋に落ちるおじさんと、落とした「あの娘」と、落ちていたおじさんたちとのハートウォーミング・ラブ・サスペンス・ストーリー!
あの長い南北之芝居を、筋書きはそのままで2時間に収めて上演するために脚色された作品。横内には珍しく、世界もテーマも原作のままである。
急逝した月蝕歌劇団主宰の劇作家:高取英メモリアル第一弾として2020年8月、コロナ禍の中、スズナリで客席を半分にして上演された。『寺山修司―過激なる疾走―』は、寺山修司に捧げる鎮魂歌でもある。高取は,大胆にもテラヤマの生涯と劇の中の「母子の物語」をコラージュして「父=国家不在」のモノガタリを創り上げた。音楽はJ・Aシーザー、振付は神在ひろみ、主演は伊藤弘子、山丸莉菜、月蝕歌劇団の白永歩美など女優陣
コンピューター・ウィルスがついに日本上陸。あるソフトウエア開発会社のホスト・コンピューターにもウィルスが侵入した! 4人の技術者たちは阻止に知恵を絞りながら悪戦苦闘、ついにハッカーを突き止めるが、ウィルスは技術者たちの想像を超えて暴走し始める……。 めざましい勢いで進化し続けるコンピューターは、どこまで人間に近づけば気がすむのか? そもそも人間は新しい生命体を創り出す神になれるのか? SF的世界の
——踏み出せ、その一歩を—— 大きなゾウを眺めていた。小さな憎悪を抱えていた。暑い日も、寒い日も、ちっとも動かず、立ち尽くしている。ずっと想像していた。あいつが一体、何を考えているのかを。
千葉雅子×土田英生舞台製作事業
地方を拠点にした暴力団『日和組』。三次団体ながら一時期は羽振りがよかったが、上部組織からの無理な要求と組長の死亡をきっかけに廃業した。その組長には四人の子供がいた。親代わりとして生きてきた長女、かつての上部組織に恨みを持ち続ける長男、裏の世界で生きる次女、そして幼い頃に養子に出され、幸せに育った三女。あるとき、三女の奈津実が幸せこの上ない笑顔で実家にやってくる。菅原玄という男を伴って……。共に劇作
幻の夏を追い求めて・・・まだ早い夏の初め。残された夏の少なさに気づいた営業社員・目白は、海から来た夏の使者・せい子とふっ子に誘われて、深海の財宝を求めてカツオ船『楽勝丸』へ向かった。ハリケーンに沈んだロシアの軍艦ディアナ号の財宝をめぐる冒険は真夏の太陽を耐え、残暑厳しい夏の終わりへとクライマックスに向かう…。
『リセット』の3つのコンセプト-〈登場人物をリセットする〉この芝居には過去の作品に登場した人物がキャラクターもそのままに、続編のように再登場します。例えば『ONとOFFのセレナーデ』の葬儀屋のヤリタイと看護婦の深町、『眠れる森の死体』の外科医の猪瀬・境など。つまり、過去の作品の登場人物たちがこの『リセット』という作品にリセットされるわけです。〈観客がリセットする〉この作品では時間的つながり、登場人
鈴木翁二の中編漫画『こくう物語』をベースに、「マッチ一本の話」等の短編を混じえて天野天街が脚本を書き下ろした作品。まだ江戸時代の風情を残す明治初期の山あいの旅籠屋を舞台に、姉かれんと弟平吉のきょうだいの他愛のない日常と、行商の老人の旅の記憶が交錯しながら一期一会の季節の物語がはじまる。忘れられない旋律を残してどこかへ行ってしまったものたちの面影を抱いて見上げる、「さむそうな、空と海だったなあ…」鈴
いつも自問自答をくり返すように、人は自身の内部に人格が内在すると感じている。それを魂と呼ぶならば、私達の肉体は魂という使用人に操られているかも知れない。さあ、魂と対決する度に出よう。笑いと共に。
複雑な人はなんでもない顔をしている。優しさゆえに心の傷を隠し、自分に嘘をついて暮らす人たちが自由を獲得するまでのいくつかの形を、個性ある登場人物たちで描く。曖昧な自意識で生きる華子。夫を介護する愛人。踊る愛人の娘と友人。生きる意味を探す息子。この家族がホームレスの協花と出会うことで変わる、家族の解体と再生の物語。女性の自由を奪う見えない抑圧に輪郭をひき、個人の尊厳が守られる新しい共同体の姿を探す。
日本の現代演劇ポスターデジタル化プロジェクト2023
150点の現代演劇公演のポスターをアーカイブ。公演のキービジュアルがデジタル展開され難い、1960年代から80年代を中心に、紙で現存するポスターをデジタル化。ポスターのセレクションは、1960年代以降の舞台芸術系のポスターを収集・保存、これまでも研究や数々の展覧会に協力する等、演劇公演のポスターに造詣が深い、ポスターハリス・カンパニー社代表の笹目浩之氏が担当。
派兵先の戦場で地雷原を歩き続ける二人の自衛官、親分の命令で屋敷の庭を守る地雷を入手する旅に出たヤクザ、地雷撤去に憧れを抱く義足の女の「冒険」、地雷製造会社で働く父親と家族の日常、セントラルパークに埋められた地雷に翻弄されるNY市警の警官たち、地雷に囲まれ、村から追われた難民の物語……。「地雷」をめぐる様々な物語が交錯する。名前を変え形を変え世界中に存在する子供達の遊び「だるまさんがころんだ」が、い
その茂みの先には…あらゆるものが息を潜め、様々な思惑がうごめく鬱蒼としたジャングル。そこに直面したとき人は進むのか、諦めるのか、武器を手に闘うのか。現代社会をジャングルに見立て、さまよう人間の姿をユーモア溢れる怒涛のドタバタ劇でおもしろおかしく、時に鋭くえぐり出す。
本作は佳梯かこの依頼で鄭義信が書き下ろし、2000年のクリスマスに名古屋で一夜のみ上演された。しかしながら、再演の声が高く、早くも翌年2月に再演。佳梯はその演技で、名古屋芸術創造賞を受賞。彼女の当たり役となり、その後も幾度となく上演されることとなる。鄭が率いる演劇ユニット「海のサーカス」で2002年12月に東京公演が実現。本映像はその東京初演時のもの。2006年には同配役で韓国公演も成功させた。古
椿組2019年春公演
昭和11年。2.26事件前夜、若者は東京へ降り立った。そして事件、帝都では戒厳令が発せられ首謀者15名に銃殺刑執行。やがて時代は不穏な霧に包まれ坂を転げ落ちていく・・・大陸の事変、それは日常。そんな中、若者が飛び込んだ先は浅草花月劇場、そこには「アキレタヤツラ」が居た。若者は数多(あまた)のものに出会う。文学、詩人、大衆芸能、築地の演劇人、転向者、踊り子、そしてマドンナ・・・北海道・稚内、浅草花月
温泉ドラゴンのシライケイタ:演出による現代韓国傑作戯曲上演シリーズ第一弾。韓国を代表する劇作家:パク・クニョン(劇団コルモッキル)の代表作。『代代孫孫』は、ある一族の物語を、現在から日帝時代まで遡りながら描き出す韓国現代史。シライは韓日を入れ替え、日本は朝鮮の植民地、自衛隊は、べトナム戦争に参戦するという、「あり得たかもしれない歴史=想像力の物語」として、再構築し『代代孫孫2016』を創り上げ、物
「精神鑑定医と患者と、その患者にしか見えない男」「落ちぶれて留置場で再会した2人の元ライバルのボクサー」といった、2つの筋を1本の糸で結ぶ女「えみ子」と、「時計屋と女房」「医者と看護婦」「悪魔と魔女」「ボクサーと連れ子」「刑事と本部長」らが、怒涛の展開の連続を巻き起こす。
世は南北朝時代、足利尊氏と新田義貞が天下をあらそう戦乱の時代。新田の家臣・塩谷判官[えんやはんがん]高貞は足利軍にやぶれ、降伏した・足利がうばった新田の財宝を返してもらうかわりに、塩谷は新田の愛人・勾当内侍[こうとうのないし]をさしだす。天下の美女を手に入れた尊氏の弟・直義[ただよし]は塩谷に心をゆるし、むほんのたくらみをあかして仲間にひきいれる。一方足利の重鎮・高師直[こうのもろのお]は、直義の
かれら夫婦には「自然性」というものが損なわれていた。かれらはその共同性を意識的に仮構しなければならなかった。かくてかれらは犯罪に見いられる…。
桜田門に始まって、京の都では連日連夜の血の嵐が吹き荒れ、とうとう1867年維新回天に至った日本はすっかり身も心も生まれ変わるわけだが…同年、戊辰の戦真っ只中の祖国を遠く離れ、パリで開かれた万博に日本は初めて参加していた。幕府肝入りの日本文化遠征軍。中でも目玉は、当時フランスでのベストセラー「三銃士」を和風に表現しようという、何とも無茶苦茶極まった、名も知れぬ幕末浪人達による「お芝居」の上演だった。
歯痛、吐き気、生理不順……。人気作家・早智子の体を次々と異変が襲う。歯科・内科・産婦人科と、病院を転々と渡り歩いても原因はつかめない。だが理由は明白。早智子は尋常ならざる拒食と過食を繰り返していたのだ……。スリム(S)とファット(F)という身体の変化を繰り返す中で、早智子が自分の心の奥底に見たものは……? とどまることを知らない世のダイエットブームを背景に、過酷なダイエットに走る現代女性の深層心理
コージロさんは歯が痛くてユーウツだった。水道の蛇口が壊れてユーウツだった。なにより、ハラダさんが家を立ち退いてくれないのでユーウツだった……。
映画『田園に死す』(1974年公開)は寺山修司の自伝的映画とよばれ「世界のテラヤマ」の名を決定付けた作品。「母殺し」、「家出」、「蛍火」、「恐山」など寺山劇世界(ワールド)の集大成が、ここにあり、終生こだわり続けた《記憶とは何か?》《私とは何か?》というテーマを提示している。2009年流山児祥:企画制作、天野天街:脚色・演出、J・Aシーザー:音楽で上演。スズナリ連日超満員札止めのロングラン公演とな
流山児★事務所創立35周年記念公演の第3弾として、2020年2月、スズナリで上演された詩森ろば(serial number)の新作書き下ろし。1974年の北海道白老町長刺殺事件と1669年「シャクシャインの戦い」を交錯させアイヌ民族の差別と闘争を骨太に描いた物語。多くのメディアで取り上げられ、劇評でも高く評価された。美術:杉山至、音楽・生演奏は第27回読売演劇大賞優秀スタッフ賞の鈴木光介、主演は田
東京都のゴミ収集袋に指定がなく,中身の見えない黒いゴミ袋が全盛だった1990年。うち捨てられた失踪中の弁護士、ゴミ収集を生業とする者たち、夜ごと集まり「パパ」と呼ばれる初老の男にゴミを届ける娘たち、娘を探す夫婦・・・ビルの谷間の高架下で出会った孤独な魂が、救済の雪を待望する。同時に「不特定多数の娘を持った『リア王』の物語」として、フェミニズム問題をも視座に入れたシェイクスピア作品への新解釈を示す。
闘争スル妄想ヲ暴走セヨ!■ものがたりかつては清酒の産地として栄えたとある街。 しかし今はどの工場も閉鎖されてしまった。 再開発の波に抗いながら生きる酒を愛する男たち。 彼らが唯一の救いとして慕うのが、人気アイドルSであった。 そんなある日、街の再開発のイベントにアイドルSがやって来るらしいという情報が舞い込み…。 愛する街と酒のため、アイドルソングに乗せて男たちの暴走が始まる!
奥にはがらくたの山、傾いた柱、ふすまの横に喫茶店のカウンターがあり、はたまた床の間のある畳敷きさえも。ここはあるときは、帰らぬ父を待つ少年の暮らす海の家。またあるときは、喫茶店とアパートと民家がひしゃげた形で合体してしまった共同生活場。というのも、物語の背景には阪神淡路大震災の影が落ちているらしく、崩れて寄りかかりあった建物がここなのだ。居場所をなくし、生きるすべをなくした不在の父を求める群像劇。
1968年「広域108号事件」を題材。 死刑判決を受けた男が、自身の半生を物語る。
日本の現代演劇ポスターデジタル化プロジェクト2023
150点の現代演劇公演のポスターをアーカイブ。公演のキービジュアルがデジタル展開され難い、1960年代から80年代を中心に、紙で現存するポスターをデジタル化。ポスターのセレクションは、1960年代以降の舞台芸術系のポスターを収集・保存、これまでも研究や数々の展覧会に協力する等、演劇公演のポスターに造詣が深い、ポスターハリス・カンパニー社代表の笹目浩之氏が担当。
流山児★事務所の世界を旅する「西遊記」!天界、 妖怪入り乱れ、三蔵法師が孫悟空、猪八戒、沙悟浄を従え、天竺を目指す冒険活劇「西遊記」を鬼才:天野天街が前代未聞の歌謡冒険活劇に創り上げ、異次元・異空間に誘います。音楽はムーンライダーズの鈴木慶一。国境を超えて大爆笑を巻き起こす演劇ならではの冒険宇宙。インドネシアのジャカルタ公演を収録しました。
1972年日本への沖縄返還が行われることとなり、沖縄は大きく揺れていた。政治、市民の生活、そして裏社会、すべてが交錯し、火花を散らす。核や軍用地を巡る密約はほんとうにあったのか。現代日本の問題の縮図が噴出する1972年の沖縄を舞台に、政治とはなにか、外交とはなにか、生きるとはなにかを問いかける。
日本の現代演劇ポスターデジタル化プロジェクト2023
150点の現代演劇公演のポスターをアーカイブ。公演のキービジュアルがデジタル展開され難い、1960年代から80年代を中心に、紙で現存するポスターをデジタル化。ポスターのセレクションは、1960年代以降の舞台芸術系のポスターを収集・保存、これまでも研究や数々の展覧会に協力する等、演劇公演のポスターに造詣が深い、ポスターハリス・カンパニー社代表の笹目浩之氏が担当。
ナイロン100℃結成30周年公演第一弾として実に26年振りの下北沢 ザ・スズナリでの本公演上演が実現。劇場空間を最大限に活かした濃密な舞台で繰り広げられるレトロホラー。
東京成人演劇部vol.1
大人計画主宰、松尾スズキが演劇部を始動。8050問題の親子、ドキュメンタリー作家志望の学生と教授を描く安藤玉恵との2人芝居。第71回読売文学賞(戯曲・シナリオ賞)受賞80代で認知症気味の母親エイコ(安藤玉恵)と、ニートでアルコール依存症の50代の息子オサム(松尾スズキ)。貧困生活を送っている2人を、ドキュメンタリー作家志望の女子大生アサダ(安藤玉恵・2役)が撮影し密着していた。エイコの年金を当てに
2019年夏、自ら企画・プロデュースした2人芝居「命、ギガ長ス」は、認知症気味の母の年金を当てに生活する50代ニートでアルコール依存症の男という“8050問題”をテーマにした新作書き下ろし舞台だ。今回、最小限のスタッフで松尾が自ら作、演出、出演、美術、企画、プロデューサーを務め、並々ならぬ想いで取り組んだ舞台の稽古場にカメラが入り、初めての長期密着が行なわれた。稽古場の風景、俳優・演出家として取り
戦後、復員してきた松尾大吉(六角精児)が妻・弥生(冨樫真)の元に帰ると、そこには二人の女・番場(秋野暢子)と小梅(川島なおみ)が居候していた。しかし、弥生たちは大吉が死んだものと思い込み、既に葬式もあげてしまっていた。その上、弥生が本当に待っていたのは戦争のどさくさで結婚してしまった大吉ではなく、番場の息子・裕介だった。立場のない大吉を目の前に、裕介の帰りをそれぞれの思いで待っている番場と小梅と弥
ラジオのスタジオ。一九五〇年代のB級SF映画「地球最終放送」(原題「たたかう女」)をノンストップトークする女性アナウンサー。たばこを取りにスタジオの外に出ようとするが、スタジオがオンボロで扉が開かない。ふと不安になり、片っ端から放送を聞いてみるが、他に放送している局はみつからない。知り合いに電話をかけまくるが通じない。「地球最終放送」の内容がほんとうになったのだろうか......。
穂の国とよはし芸術劇場PLATプロデュース
穂の国とよはし芸術劇場PLATプロデュースの第二弾。穂の国とよはし芸術劇場の芸術文化アドバイザー(2017年当時、19年4月からアソシエイトアーティスト)であったアル☆カンパニーの平田満と劇場との共同企画。KAKUTAの桑原裕子の作・演出、平田満、井上加奈子、増子倭文江、中尾諭介、多田香織、小林勝也といった出演者により、2017年12月に豊橋、北九州、東京で上演。団地の一室を舞台に描かれた小さな作
海の向こうには、もうひとりの自分がいる。彼方に戦場を臨む海。国境を越え、時代を越え、鯨捕りたちの新たな旅が始まる!捕鯨漁をする南の島ラマレラに、日本兵が流れ着く。日本語、英語、インドネシア語の台詞が激しく飛び交う「くじら獲り」を通じて、日本兵たちはその島の人々に自分自身を見出していく。「揺れ動く世界の動向をよそに、私たちはユートピアを作った」