舞台は奈良時代と呼ばれた八世紀の日本。隻眼隻腕の盗賊・我王は、命を助けられた高僧・良弁上人と諸国を巡るうちに、病や死に苦しむ人々の姿に出会い、眠っていた彫刻家としての才能を開花させました。一方若き日の我王に利き腕を傷つけられた仏師・茜丸は、精進の末リハビリに成功し、名声を高め、奈良・東大寺の大仏建立のプロデューサーにまで出世。茜丸のパトロンとなった、時の権力者は、大仏殿の鬼瓦の制作を、茜丸と我王に競わせることに。二人はライバルとして運命の再会をします。しかし勝負に敗れそうになった茜丸は、我王の旧悪を暴露し、我王の残っていた右腕を切り落とさせてしまいました。
演劇博物館別館6号館3階「AVブース」にて視聴可能です。
わらび座は1951年創立。社是は「衆人愛敬」。民族歌舞団としての歴史を持ち、現在はわらび劇場を中心にした複合文化事業体「あきた芸術村」をホームベースに、わらび劇場でのミュージカルのロングラン上演、及び一般団体、学校団体向けの各種ワークショップの開催、そして全国ツアー等をあわせて年間1000回の公演実績を誇ります。作品のコンセプトとして、日本人の精神性、身体性を活かした舞台表現を駆使しながら、日本の歴史文化を題材にしたオリジナルミュージカルや日本各地の民俗芸能に基づいた歌舞集を創造しています。
ジョバンニは、病気のお母さんと二人で暮らしている。お父さんは仕事で、北の海に出かけたままである。ジョバンニのクラスメイトたちは、そのことでいつ も彼をからかうのだった。ケンタウルス祭の夜、落ち込んだジョバンニは誰もいない暗い丘にたたずんでいた。その時、突然耳をつんざくような機関車の汽笛ととともに――「銀河ステーショ ン…、銀河ステーション…」という不思議な声を聞いた。ふと気が付くと、彼はなぜか軽便
子供の金次郎は思った。「自然は面白い。手をかけただけ応えてくれる!」。本を読んだ。どん底の暮らしから、目を輝かせて世界を広げていった。大人になった金次郎は、小田原藩の家老・服部家に奉公し家政再建を成功させる。「その腕をわが小田原藩再建のためにふるってほしい。手始めに桜町領の復興を。」身分を超えた、藩主・忠真公の人間的な信頼を感じ取り、ついに金次郎は引き受ける。家財・田畑全てを処分し、一家で桜町へ
「冒険と友情」を描いたお祭りミュージカル第1弾「ヤンタ森へ行く」は各地の子どもたちに愛され、厚生省中央児童福祉審議会の平成7年度推薦文化財に指定されるなど、好評のうちに、98年3月で終演しました。これに続く第二弾を、いじめが猛威をふるう子どもたちの世界に「自分・命・愛を確かめる場」を願って創出しました。わらび座が46年間蓄積してきた民族舞踊を存分に駆使した舞台です。
新庄藩に生まれた養安は、ある失敗から、9才でたった一人母に見送られて秋田藩へと逃れる。医者に拾われた養安は、御典医を目指して勉学に励む。ようやく医師免許を手にした時、院内銀山の火事に遭遇。「焼死した銀山お抱え医師の代わりに」と請われ、おしかけ女房のサツ子もやってきて、期限付きで引き受ける事になる。持ち前のパワーとユーモアで、鉱山医療に立ち向かってゆく養安夫妻。やがて銀山は日本一の産出量を誇る「天保