バルト三国の一つリトアニアの首都カウナスで六千人のユダヤ人の命を救った日本人外交官杉原千畝
1992年初演、リトアニア公演、神戸ボランティア公演を経て上演回数350ステージを超えた「センポ・スギハァラ」・・・その経験を生かした新作!
演劇博物館別館6号館3階「AVブース」にて視聴可能です。
1972年創立。平和と人間愛を求め、”本当に人間らしく豊かに生きるとは何か”をテーマに創作劇を中心に上演。拠点となる板橋区の銅鑼アトリエ・劇場公演を実施、全国から世界へ作品を届けている。演劇上演の他に、”演劇の力を社会に生かす”ことを目標に地域や他団体と連携した各種ワークショップ事業も展開中。劇場のバリアフリー化にも力を入れている。
地方都市。生きる希望を求め思い出の地へと辿り着いた青年・服部公平。かつて映画技師をしていた映画館は廃墟となり、街には行くあてのない孤児たちがいた。昭和24年1月GHQの提唱のもと、新少年法施行に伴い全国一斉に家庭裁判所が設立された。そして映画館は、新庁舎建設までの仮庁舎に。家庭裁判所としての初日。近藤判事は一枚の書類を目にする。やっかいな文字・・・窃盗傷害。連行されてきたのは、反抗的な目を持つ少年
昭和4年、上野は谷中の太平洋画会研究所のアトリエで真剣に裸婦のデッサンに取り組む若き画家、靉光(あいみつ)、井上長三郎、鶴岡政男、寺田政明、松本竣介たち。そんな頃、まだすすきと大根畑におおわれた低湿地帯、池袋にポツリポツリとアトリエが建ち始める。貧乏画家たちは、一人また一人とそこに集まり、やがてその一帯は芸術家の街と化した。そろいもそろって酒好き、女好き、喧嘩っ早い。けれどいったん絵を描きはじめた
ブラジルの劇作家・フィゲレードの作品。イソップ寓話「狐とぶどう」をモチーフに人間の自由と尊厳を描いた寓話劇。
アウシュビッツ博物館(ポーランド)から東京のホロコースト教育資料センターに貸し出された茶色い古びたかばん。かばんには、ハンナ・ブレイディ 1931年5月16日生まれ ドイツ語で“孤児”と大きく書いてありました。ハンナは、どんな女の子だったの?劇団銅鑼アトリエ、東京芸術劇場ほか様々な場所で・・・あなたとハンナを探す旅が始まります。